partita 〜 世界演舞

第三章 忘却の花咲く庭(8)


「なんだ、アマネも行くのか」
 シャンレイは翌日になって、その事実を知った。
「あぁ。私の旅の目的は、高等秘術の研究及び修得だ。エルディスは格好の素材というわけだ」
 表情一つ変えずにそう言うアマネに、シャンレイは苦笑した。
「――― そうか」
 収穫祭の始まったこの町の賑わいに、半ば押し出されるようなかたちで町のはずれまで来ていた。ここから先は、エルディスたちと行く方向が逆だった。
「……それでは皆さん、また何処かで」
 エルディスは会釈をすると、そのまま踵を返した。アマネは何も言わず、その後をついて行く。二人の背が見えなくなるまで見送ると、シャンレイたちも歩き出した。
「なんか、あっという間だったな、あの二人」
 ミサキは空を見上げ、一つ伸びをした。
「もおっ! あとどれくらいかかるのさ、遺跡まで! 僕は油なんか売ってる暇があったら、早く身体を探したいっていうのに! これというのもみーんな、このお節介でどうしようもないパーティーのせいなんだから! シャンレイはお人好しだし、パレッティは何も考えてないし、ミサキは自分を制御できないし、ソルティは単細胞だし……」
 突然、捲し立てるように文句を言い出したのは、ここのところ大人しかったパズズだ。パレッティは耳元で騒がれたので、耳を塞いでその大声による攻撃を回避しようとした。
「いきなり怒鳴らないでよぉ。頭が痛くなっちゃう」
「イテテテ……。頭に響くだろうが。怒鳴るんじゃねぇ」
「少しは主人のことも考えろよ。それに、お前に単細胞呼ばわりされるのはすげぇ心外だ」
 ミサキに続き、ソルティまでが不機嫌そうに避難する。すると小さな黒天使は、青筋を立てて彼を睨んだ。
「……ソルティ、『不機嫌』はパズズの専売特許だ。少し冷静になれ」
 シャンレイは苛つく彼を窘めた。しかし、その一言は収拾のつかない状態を引き起こしてしまった。
「黙っていればつけあがってっ! 今度という今度は絶ぇぇぇっ対に許さないんだからねっ!!」
 パズズが大噴火を起こす。シャンレイはハッとして口を押さえたが、後の祭りであった。
「ちょっと、どうするの? 魔法唱えてるよ?」
 不安そうに言うシェーンはパズズの方を見ている。翼を広げて一行から離れた使者様は、何か強力な呪文を詠唱しているようだ。パレッティはすかさず羊皮紙とペンを出す。そして、素早く魔法陣を描く。
『我を守護せし者よ、冥神の御名において命ず。汝の魔力の発現を禁ず!』
 高らかに告げるパレッティの古代神秘語。その瞬間、魔法陣は光を放つ。同時に、パズズの額にも同じ紋様が描かれた。
「はい、おしまい」
 パレッティはニコリと微笑んだ。しかし、何も気付いていない悪戯っ子は、呪文を完成させてこちらへ飛ばしてきた。
『[闇に潜みし悪意の洗礼(レイヴ・ラグ・ウィットール)]!』
 暗き闇が、彼らに襲いかかる。
「お、おい! 効いてねぇぞ、パレッティ!」
 ミサキは慌てて少女を振り返る。パレッティは余裕の笑みを持って、それに答える。パズズの飛ばした闇は急に方向を変えた。
「!?」
 そして、パレッティの手に持っている魔法陣の中へ吸い込まれて消える。
「な、な、何をしたのさ、パレッティ!?」
 突然の出来事に喚きだした彼に、パレッティは手の中のそれを見せた。守護者の魔術を吸収する魔法陣だ。
「馬鹿ぁぁっ! 何てことするのさ!? 僕の最大級の特殊魔術だったのに! バカバカバカァァァっ!」
 空中で暴れるパズズを尻目に、ゲオルグは肩をすくめてみせた。パレッティも呆れたように溜息をついて、駄々をこねる子供のような守護者を見上げた。
「あれで、冥神の第一級高位体なんだよね……」
「ま、ガキってのは、我が儘だからこそ可愛いんだろ」
 ゲオルグは呟くように洩らした。すると、シェーンは何かに気付いたように彼の顔を見上げる。
「そういえば、ゲオルグって家族は?」
 その言葉に、ミサキもポンと手を打つ。
「そうだよな。嫁さんもらって、子供もいるんじゃねぇの?」
 しかし、ゲオルグは哀愁の漂う笑みを浮かべ、視線を落とした。
「――― あいつは、家内はだいぶ前に死んじまった。子供はできなかった」
「死んじゃったって……」
 パレッティは、思わず口から零れてしまった言葉にハッとして、口を噤んだ。
「流行病の類だ。薬が開発されて間もない頃だった。高値で売られる薬を買うほど、俺には持ち金はなくてな。……家内も、お袋も死んじまったよ……」
 ゲオルグはパレッティの言葉を気にすることなく続けた。しかし、声は震えていた。悲しみで震える、隙間風のようではなかった。むしろ、嵐を予感させる風だ。――― 怒り。それが彼を支配しようとしていた。
「ゲオルグ……」
 何と言っていいかわからないシャンレイは、困惑の表情で彼を見つめていた。場が、一瞬の静寂に包まれた。
「――― 親父が、殺した……」
 ゾッとするほどの低い声音。ゲオルグの中で、怒りが徐々に湧き上がっていた。殺気にも似たその気に、ソルティは顔をしかめ、シェーンは身を震わせた。
「あいつがロマンチズムだか何だかに浸ったせいで、名門貴族であったコルンベルク家は没落の一途をたどった。……病にかかった家内も、お袋ですら助けられるような状態じゃなかった……」
 ゲオルグの拳が、ワナワナと震える。シェーンは思わず、シャンレイの袖をつかんだ。
「……金さえあればどうとでもなった時代に、親父は自分の理想というエゴのために捨てた! 自分の妻を犠牲にしてもな!」
 ゲオルグは吐き捨てるように言う。その険しい顔が物語る、父親への憎しみ。誰もが彼を止めることはできないと感じていたに違いない。しかし、シャンレイは違った。不思議そうに、ゲオルグを見つめていた。そして、もう一人。ソルティは他の者のように、それに威圧されてはいなかった。
「それは違う」
 きっぱりと言い放つ。
「……何が違うんだ?」
 ゲオルグは冷たく見返す。
「金がすべてなんて、そんなわけないだろ。いくら豊かでも、それだけじゃ幸せになんかなれない」
 ソルティは真正面からゲオルグに反論する。その目には、彼なりの正義感が灯っていた。しかし、男爵はそれを鼻で笑った。
「青いことを言うな。お前もまだ、ガキだな」
「あぁ、俺は子供だ。世の中のことなんて、よくわからないさ。でも、あんたの言う『金がすべて』っていうことが間違っていることくらいはわかるつもりだ」
 ソルティはその目を反らそうとはしない。
「物質的な豊かさだけで、人がまともに成長できるわけないだろ。子供は、精神的にだって豊かな環境で育たなけりゃだめなんだよ」
 ソルティは怒りを含んだ口調で諭した。シャンレイは目を細める。彼は話を続けた。
「親父さん、本当に奥さんを見捨てたのか? 金があれば、本当に助かったのか? 自分の最愛の人間を、そうそう簡単に見殺しになんてできるかよ?」
 怒濤のように言葉を投げつけるソルティ。――― 男爵は目を細めた。
「世の中にはな、自分の理屈が通らない人間ってのもいるんだ。お前の言う『間違い』ってのは、誰が決めたことだ? 万人に必ずしも共通するものじゃないだろ」
 そんな男爵の言いぐさに、ソルティは切れかかっていた。
「じゃあ、あんたの言うことは正しいのかよ!? 自分の論理を押しつけるなよ!」
「……その言葉はそっくりお前に返してやる。押しつけてるのはお前だろ? ……少しは冷静になって自分を見ろよ」
 ゲオルグの目を徐々に冷めていく。静かに、激情を燃やし始めていた。シャンレイは二人の間にはいる。
「ソルティ、そのくらいにしておけ。人には心に不可侵領域がある。それを理解しろ」
 一方的にソルティが悪いわけではない。しかし、今止めるべきなのはこの若者だった。彼女はそう考えていた。
「シャンレイは黙っててくれ。言わなきゃ気が済まないんだ」
 ソルティは闘争心を剥き出しにして、ゲオルグを睨んでいた。ゲオルグもそれに応える体勢だ。
「俺もお前に言っておきたかったことがある。……確かに初対面の時、俺の取った行動は良くなかった。それは理解している。けどな、それ以降のお前の態度は尋常じゃない。何で俺に対してそんなに反発する?」
 そう、剣を触ろうとしてその時から。ソルティはゲオルグに対して反抗心を露わにしていた。今までのソルティからは到底理解できない行動だった。
「あんたが、あんたが気にくわないからだ!」
 ソルティがそう言った時、鋭い音がして彼は頬の叩かれた。――― シャンレイの平手が飛んだ。
「――― いい加減にしろと言っている。子供が駄々をこねているようにしか見えないぞ、ソルティ」
 シャンレイは怒っているのではない。どこか哀しい目をしていた。すると、ゲオルグが背を向けた。
「……ソルティには俺が目障りのようだな。……俺もこいつの反抗心にはうんざりしていたところだ。契約は切らせてもらうぞ」
 冷めた口調でそう言うと、シャンレイに向かって革の袋を投げた。
「――― 報酬だ」
 ゲオルグはそう言うと、別の方に向かって歩き始めた。風が彼の背を押すように吹き付ける。
「ゲオルグ」
 シャンレイが彼を呼び止める。男爵の足が止まる。
「……あなたは何に対してそんなに憤りを感じている? 家族を顧みなかった父上か? 母上や伴侶を死に至らしめた病か? それとも……、その時何もできなかった自分自身か?」
 シャンレイは一つ一つ言葉を選ぶ。彼女が感じていた疑問。それは、この男爵が言っていることが本心ではないように感じられたことだった。
「――― 話はそれだけか」
 ゲオルグは振り返らない。
「……また逢おう」
 シャンレイはそれだけ言うと、皆を促し、自分たちの行くべき道を進み始める。ミサキたちは少し躊躇してゲオルグの方を見る。そして、シャンレイの後を追った。ソルティも渋々それに着いていく。――― まだ痛みの残っている頬を気にしながら。
「――― また、逢えそうだな」
 誰かが呟いた言葉が、風に乗って天高く舞い上がった。



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