partita 〜 世界演舞

第三章 忘却の花咲く庭(7)


 翌日の夕方、子供たちを無事に送り届けて頭領を詰め所に連行すると、酒場で祝杯を挙げた。
「巻き込んでしまって、すまなかった」
 シャンレイは深々と頭を下げる。
「謝る事じゃないですよ。私は、自分のしたいようにしたまでです」
 エルディスは目の前の果実酒の注がれたグラスを掲げ、一口飲む。シャンレイもふと微笑むと、グラスを取ろうと手を伸ばす。しかし、その瞬間にグラスが消えた。そのグラスは次の瞬間、空になって返ってくる。呆然として、その犯人を見る。
「……ミサキ……」
 あびるように酒を飲む彼女を、誰も止めることはできない。
「酒らぁっ! もっろ酒くえぇっ!」
 大きな声で叫ぶミサキの姿は、質が悪かった。顔は赤く、目は虚ろ。そして、完全に舌が回っていない。ゲオルグは見かねて、ウェイトレスに水を頼む。
「……ミサキって、下戸だったんですね……」
 エルディスは苦笑した。今までにも、彼女が酔いつぶれることは多々あった。しかし、こんな酔い方をするのは初めてだ。
「……酔いたい気分なのかもしれないね」
 シェーンが淋しげに呟く。――― 無理に酔おうとしている。そんな感じがする。その場に、沈黙が広がった。精神的に苦境に立たされたのは、今回が初めてだったのかもしれない。ミサキの持ち前の気質は、どんなことをしても憎めないものだったから。かつて感じたことのない負担から解放され、その反動でこんな風になっているのかもしれない。
「……まぁ、結果的にはよかったのではないか?」
 シャンレイは独り言のように、微かな声で低く呟いた。そこへ水が運ばれてくる。シャンレイは立ち上がり、ミサキに近づく。
「ミサキ、上で一杯やろう」
 水の入ったコップを取ると、ミサキの腕をつかんだ。
「んあぁ? 酒、飲むろぉっ」
 ミサキは返答のようなものを返しながら、シャンレイに着いていく。すると、何だか物寂しい静寂が訪れた。それを何とかしようと、口を開いたのはパレッティだった。
「エルディスは、もう行っちゃうの?」
 上目遣いで淋しげな、何か物足りなそうな顔を見せる。
「……そうですね。私は詩人ですから、気の向くままに旅を続けます」
 優しい笑みを浮かべると、エルディスは彼女の髪をそっと撫でる。
「今回の旅は、いい経験となりました。今度会うことがあれば、是非御一緒させて下さい」
 パレッティはくすぐったそうに目を細める。すると、標的は別の方に移った。
「――― で、アマネはどうするんだ? どこか、行くあてがあるのか?」
 ソルティは、淡々と酒を飲むアマネに目を向けた。彼はソルティを一瞥すると、口にグラスを運ぶ。
「そうだな。幻術という面白い素材がある。……エルディスについていくのも、また一興だな」
 再び無感情な目がソルティに突き刺さる。彼は反射的に身をすくめた。その目には、何か計り知れないものがあるような気がした。――― 少なくとも、ソルティはそれに僅かな畏怖の念を抱いた。
「シャンレイたちにも、挨拶すべきですね。出立は明日の朝にしましょう」
 エルディスは階段の方を見た。泥酔していたミサキはどうなったのだろうか。少し心配になる。
「ねぇねぇ、じゃあ歌ってよ! なんか、元気の出るようなの!」
 パレッティは顔中に笑みを広げて、エルディスにねだる。彼は軽く笑みを向けると、その指で弦の張りを確かめる。波紋のように、美しい音色が響き渡る。軽やかに動き始める指に合わせ、彼の穏やかで温かい声が調和を作り出す。即興だろうか。出会いと別れ、そして再会を題材に優しく歌い上げる。静かな曲だった。心の中に染み込んでいく、そんな歌だった。
 曲が終わると、パレッティたちは拍手を贈った。それに輪をかけるように、いつの間にか集まってきていた人たちの指笛やらで、その場は沸き立った。エルディスは、それに笑顔で応える。その後も何曲か披露し、客がいなくなった頃にシャンレイが下りてきた。
「シャンレイ、ミサキは?」
 彼女の顔を見つけたシェーンが、真っ先に尋ねる。すると、彼女は苦笑した。
「やっと寝付いたところだ。あれは、赤ん坊の夜泣きよりも厄介だぞ」
「……何かあったのか?」
 ソルティは訝しげな表情を見せる。シャンレイは空いている席に腰を落ち着け、首を傾けて小気味のよい音を立てさせた。
「あれが欲しいだの、これがないと嫌だの、駄々をこねる。挙げ句、それを持ってくると、それはいらないなどと言い出す。最後には膝枕で眠り出して、いざ動こうとしても服をつかんで離さないのだ」
「な、なんか想像するとスゴイよ、それ……」
 パレッティは唖然として呟く。それに肩をすくめたシャンレイは、エルディスの方に向き直った。
「――― 行くのだな」
「えぇ、行くあてはありませんけど」
 彼は肯定するように目を伏せる。シャンレイはその言葉にしばし考えた後、意を決してしっかりとした口調でエルディスに言う。
「――― もし……、もしもだが、東方へ行くことがあったならば……、東方中部の霧海山の麓にある村の人たちに、私の無事を伝えて欲しいのだが……」
「霧海山、ですか……」
「……伝説の、迷いの山だな」
 アマネは、興味を示すようにシャンレイを見た。
「――― 私の、第二の故郷だ」
 彼女はそう言うと、視線を落とす。にわかに静まり返る空気が流れる。
「……わかりました。東方には向かおうと思っていましたから、そちらの方へ行ってみますよ」
 エルディスは軽く頷いた。シャンレイはそれに対してホッとしたのか、一つ溜息をついた。そして、頭を下げる。
「すまない。よろしく頼む」
「シャンレイ、そんな所に住んでたんだ」
 ふぅん、と何度も頷くパレッティは、何かに気付いたのかその目をアマネの方に移した。そして、首を傾げながらじっと観察する。
「どうかしたのか、嬢ちゃん?」
 ゲオルグは酒を飲む手を休め、彼女の方に目を向けた。
「……アマネって、どこの人なのかなぁって。外見だと東方だし、名前は極東? でも、服は東方中部だよね。ずっと訊こうと思ってたんだけど、どこなの?」
 パレッティのじっと見つめたままの目は、好奇心に溢れていた。当の本人は彼女を一瞥すると、
「ない」
 冷めた口振りで返す。これには誰もが一瞬その意味が解せなかった。アマネはそんな皆に、解明の糸口すら与えない。
「っていうことは、故郷がないっていうこと?」
 シェーンが首をひねる。
「正確には違う」
 淡々と答える彼に、パレッティはますます混乱する。その様子に、アマネは溜息をついた。
「私を結びつけるものなど、何もない。固執する場所も、恋い慕う人間も、邪魔になるだけだ。必要ない」
 その考え方を、パレッティは理解できなかった。眉を寄せ、腕組みをする。
「意図的に忘れた。……そういうことですか」
 エルディスが苦笑して呟く。すると、パレッティは頬を膨らませた。
「それは良くないよ! お父さんとお母さんがいて自分がいるんだよ? 育ててくれた家族には、ちゃんと感謝しなくちゃ!」
「――― パレッティ、それは人それぞれ事情がある。そうもいかない人だっているのだ」
 シャンレイはパレッティの頭を撫でる。見上げたところにあったその顔は、どことなく悲しそうでもあった。――― そうだった。シャンレイは両親を亡くしていた。パレッティはハッとして、次にしゅんとなった。
「ごめんなさい……」
「謝る必要はない。ただ皆が皆、そうではないということをちゃんとわかっていなければだめだ」
 シャンレイは小さな微笑みを見せた。パレッティは言葉なく頷いた。思わずしんみりした空気が流れる。重々しい静けさが、この場を支配する。すると突然、ゲオルグが酒を飲み干して席を立った。
「おめぇら、語り明かす気か? エルディスの『明朝』ってのは遅いのかよ? 小さい嬢ちゃんたちも早く寝ろや。朝が辛ぇぞ」
 そのまま二階へ上がっていってしまう。するとシャンレイも立ち上がった。
「ゲオルグの言う通りだな。明日、起きたら既にエルディスはいなかった、などとは洒落にならない」
 彼女はパレッティとシェーンを促して、ミサキの寝ている部屋へ向かった。
「見送って下さるなんて、律儀ですね」
 エルディスはそう言って、アマネを見た。彼は肩をすくめてそれに答える。
「さて、俺たちも寝るとするか」
 ソルティは呟いて、一つ伸びをした。三人はその場を離れ、寝室への階段を上っていった。



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