白の死神

        (1)

 アクメイア王国。富裕の国家。大地は肥え、山が北と西を、大河が東を守る豊かな国であった。しかし、この地を狙い幾つもの国が侵攻してきている。豊かであると同時に戦乱に置かれた国家であった。国王は老年。そろそろ天寿を全うするであろうという年だ。
 しかし、世継ぎたる王子たちはまだ若かった。
 長兄、ファルト。知識人であり、剣の腕も立つ。国王の身体が言うことをきかない今、彼がその代行をしている。冷静であり、素早い判断のできる人物であった。まだ二十四歳という若さである。
 次兄、シャナイ。戦馴れした王子で、城を抜け出しては子供たちと遊ぶ。子供たちにとっては英雄のような存在ではあるが、不器用で真っ直ぐな性格をしている。彼は二十一歳だ。
 そして末弟、ウェンリ。幼い頃より病弱で、長くは生きられないと宣告されている。しかし、そんなところはおくびも見せず、民衆と触れ合ってはその優しさを振りまいている。戦を嫌っているが、誰よりも国と民を愛する王子である。彼は十七歳になったばかりだ。
 急速に王の体力が落ちていく今、この三人が国家を支えていかねばならなかった。
「――― ファルト、ゲシュテットの雷導騎士団が来てるって本当か?」
 王城の中。表情も変えずにカツカツと歩くファルトの後ろからシャナイが話しかける。ゲシュテット王国はアクメイアの西に位置する軍事国家で、この国を狙う敵国である。雷導騎士団はゲシュテット最強の騎士団である。シャナイの問いを聞いてはいるものの、兄は彼の方には目もくれない。
「本当だ。それより、少しは仕事をしろ。お前は軍事面の担当じゃなかったか?」
 冷たい言葉に、シャナイも悪態をつく。
「軍事担当って言ったて、ファルトがほとんどやってるだろ? 俺のことなんか、端から期待してないくせに」
「無論だ。役立たずに何ができる?」
 間髪入れずに返ってくる答え。シャナイはすぐにキレた。
「だったら『仕事しろ』って言うなよな! このクソ真面目の冷血漢!」
「――― 口の利き方がなっていないな。単細胞」
 ファルトは弟を一瞥すると、早足で執務室に向かう。彼らは仲が悪かった。些細なことでもすぐに衝突し、譲り合おうとはしない。お互いにプライドが高かった。
「兄さんたち! 朝から喧嘩などしないで下さい!」
 前方から声がかかる。ウェンリだ。彼は半ば呆れ返って二人を見ている。
「おはよう、ウェンリ。身体の調子はどうだ?」
 シャナイは軽く手を上げると、すかさず尋ねた。最近、彼の調子は良くなかった。父王が寝込んでしまってからというもの、ウェンリはあちこち駆けずり回っていた。戦が激しくなるに連れ、民衆の間では不安が高まっている。それを和らげるため、彼は国内のあらゆる場所で演説をしていた。
「おはようございます、シャナイ兄さん。今日は調子がいい方です。それより、大声を上げて喧嘩しないで下さいよ。それでなくとも皆、ピリピリしているんですから」
 ウェンリは眉を寄せて腕組みする。
「おはよう。昨日はご苦労だったな。お前のおかげで私も仕事に専念できる」
 ファルトは少しだけ微笑んだ。そんな兄にもウェンリは困った顔を見せた。
「おはようございます。ですが、シャナイ兄さんともめるのは勘弁して下さいね」
「――― 善処する」
 いかに最愛の弟の言葉であろうとも、こればかりは何とも言えない。根本的な相性の問題だ。シャナイが何か言う限り、彼もまた批判的な言葉をぶつけずにはいられないだろう。すると、ファルトは執務室に入っていってしまった。
「……シャナイ兄さん、わざとファルト兄さんにつっかかるようなこと言うのはやめて下さいよ」
 バタンという扉の音のあと、弟は次兄を見上げて言う。しかし、シャナイは苦笑して彼の頭をポンポンと叩く。
「―――戦は、負けが込んでるんだ。口喧嘩して俺をけなせば、少しはストレスも吹っ飛ぶだろ」
 ハッとして見上げると、兄は顔を背けてしまった。シャナイは何も考えていないようだが、兄に気を遣っていたのだ。二人はそのまま廊下を歩いていく。質素で飾り気のない廊下に朝陽が射し込んでいる。シャナイは弟の色素の薄い髪に目がいった。反射してキラキラと輝く長い髪。「まるで女の子のようだな」と言ったら真っ赤になって怒ったこともあった。しかし、ウェンリの髪は本当に見事なものだった。
「……戦況は聞いたんですか?」
 ウェンリは声のトーンを落として尋ねる。
「あぁ、伝令の者からな。ゲシュテットは本格的に騎士団を投入してきた。一気に攻め落とそうという腹づもりだろう」
 シャナイは悔しそうに答える。彼には何もできなかった。戦略とか戦術といったものは何もない。そういう面では兄の方が長けているし、実際に彼にできることは、前線に赴いて自分も戦うことだけだった。……しかし、それも国王が臥している以上、できなくなってしまった。
「――― 何故、奪い合いをするのでしょう。友好を深め、交易を行えばすむことなのではないのですか?」
 ウェンリは沈痛な面もちで呟く。
「世の中にはな、欲に溺れた自己中野郎がのさばってるんだよ。お前みたいに優しい連中ばかりじゃない」
 シャナイは厳しい顔になった。このままでは確実にこのアクメイア王国が食いつぶされる。何もできない自分が歯痒い。グッと拳を握りしめると、ウェンリがそこに手を当てる。振り向くと、彼は苦笑していた。
「私も無力です。でも、まだ何かできることがあると信じています」
 書庫へ行きますが、どうします? ――― まるで何もなかったかのように尋ねるウェンリ。シャナイは彼の心の持ちように救われた。
「そうだな。たまには何かしないとな」
 笑って二人は書庫へ向かった。珍しく、シャナイは書物を読むのに没頭した。




⇑ top ⇑    next »