partita 〜 世界演舞

第一章 己が目的への回廊(2)


 やっと解放された頃には、もう深い闇が空を覆っていた。相当飲まされた彼女ではあったが、まだ酔いつぶれはしなかった。
(……さすがに酔いがまわってきたようだな)
 部屋に戻ってくると、まず窓を開けた。秋の夜、夜風はもう冷たくなっている。それが何とも心地よい。窓から身を乗り出すと、空に輝く数多の星が彼女に降り注ぐ。その時、はっとして下を見ると女の子がこちらを見上げていた。目が合うと、笑いながら手を振ってくる。
(子供が一人で外を歩くような時間ではないぞ……)
シャンレイはそんなことを考えつつ手を振り返す。すると、少女は口元に手を当ててメガホンを作る。
「ねぇ、そっちに行ってもいい?」
 突然の申し入れに、シャンレイは一瞬躊躇(ためら)った。が、何かわけありかもしれないと思い、頷いた。すると、少女はパッと顔を輝かせる。
「ありがとう!」
 彼女はそう言うと、集中を始めた。気が急速に集まってくる。
『開け、息づく強固なる門。地王(ちおう)が力を鍵と成せ』
 それは魔術に使う言葉、[古代神秘語]であったが、シャンレイはそれを解する知識を持っていない。少女の言葉でその足元に魔法陣が描かれた。
「!?」
 シャンレイは目をまるくして、それを見る。
『我、闇にて和を成す者。我が呼び声に応えよ。汝、冥神(めいしん)が使者、第二級高位体スレイプニル!』
 呪文の詠唱が終わると、魔法陣から八本の足を持つ黒馬が現れた。嘶く声は勇ましく、異様な姿とは裏腹に神秘的ですらある。
(さて、この馬をどうするというのだ……)
 シャンレイが眉をひそめていると、少女はその黒馬にまたがった。
「スレイプニル、いいよ」
 その馬は少女の囁きを聞くと一つ大地を蹴り、跳び上がった。そして信じられぬことに宙を駆けて、二階のシャンレイの部屋の窓辺までやってきた。
「!!」
 呆気にとられ、ぽかんと口を開けたまま少女を見やる。少女はニコリと笑うと、部屋の中へ降り立った。
「おじゃまします」
「な、な、な……」
 かろうじて言葉は口を出たが、文章にならない。この馬は何処から来たのだろうか。
「えっと……初めまして。あたし、パレッティっていうの。お兄さん、さっきあの怖そうな人、やっつけた人だよね」
 少女、パレッティはシャンレイの顔を見上げ、首を傾げる。はっとして彼女は目の前の少女を見た。十二、三くらいだろうか。まだ幼さの残る顔立ちだ。
「それはそうだが……私は[お兄さん]ではないのだが……」
 少し困った顔で、頭を掻く。すると、パレッティは驚いて目をまるくした。
「えぇぇっ! そうなの!? ごめんなさい、あの人が[小僧]って言ってたから……」
 しゅん、となって上目遣いになる。シャンレイは彼女の頭をそっと撫でた。
「気にしなくていい。慣れているから大丈夫だ」
 それより話があるのではないか、と尋ねてみる。すると、パレッティはハッとして真剣な顔を向けた。
「あのね、一緒に旅してほしいの」
 突然の誘いにシャンレイは当惑した。
「パレッティはここの住民か?」
「違うよ、もっと北西の方から来たの」
 その瞳に嘘はない。どうやらここまで一人で来たようだ。その時、シャンレイは眉をひそめた。視界の端に、気配を感じる。
「その肩にいるのは……」
 少女の右肩には、深い闇色のオーラが見える。正体はわからないが、強大な力を感じた。すると、パレッティは楽しげに笑い出した。
「あはっ。バレちゃった。パズズ、隠れん坊下手だね」
 彼女の声に、そこから少年が現れた。褐色の肌に金色の目。背には一対の黒き翼。そして、何より彼は子猫ほどの大きさだった。どうやら彼が[パズズ]のようだ。
「うるさいなぁ。このお姉ちゃんが気づかない方が変なんだよ」
 パズズは不機嫌丸出しの顔で言い返す。シャンレイはまたも唖然とした。
「な、何者だ? 彼は……」
「パズズはあたしの守護者なんだ。大事な友達だよ」
 無邪気に笑う少女に、今度は噛みつかんばかりの勢いで彼は反論する。
「誰が友達だって!? 僕は飽くまで『契約上の』守護者だよ! もっとも、守るような義理はないけどね」
 最後は鼻で笑う。シャンレイは目を細めた。この少女にここまで酷いことを笑いながら言えるパズズが許し難い。彼女の表情こそ変わらなかったが、取りまく気は悪寒さえ呼び起こさせるほどであった。
「……」
 ぞっとするような冷たいオーラに、パレッティは慌てた。
「あ、大丈夫だよっ。これはね、パズズの愛情表現なんだからっ」
 ね、とパズズに振ってみるが、彼の頭はドカンと爆発していた。顔は真っ赤だ。
「な、何言ってんだよっ!そんなことあるわけないじゃない!」
 シャンレイはきょとんとした。どうやら仲が悪いのではなさそうだ。
「――― そうだ、忘れていた。私の名は、シャンレイという」
「……シャンレイ……? 東方の名前だね」
「あぁ、私の生まれたところでは[黒きを切り裂く]という意味だそうだ」
 その言葉にパズズが過敏に反応した。パレッティはぷっと吹き出した。
「パズズは真っ黒だもんね!」
 パズズはまたも怒りだした。
「こんなお姉ちゃんに切り裂かれるわけないでしょっ!」
 宥めに入るパレッティが、このきかん坊の姉に見えてくる。彼の怒りがある程度収まると、パレッティがシャンレイに質問を投げかけた。
「ねぇ、シャンレイはどうして旅してるの?」
「飛竜に会って、鱗をもらうために」
 目を伏せ、師の顔を思い出す。白い髪と髭。最近頬が痩けてきていた。元気だろうか、とても不安になる……。
「鱗……? 何でそんなのが必要なの?」
 パレッティは頭の中が疑問符だらけになった。
「流派を継承するためには、それが必要なのだ」
 シャンレイは柔らかい口調で答える。すると、パレッティの肩の上で欠伸をしていたパズズがふん、と鼻で笑う。
「飛竜って、ワイバーンのことでしょ。あれは地上には一体しかいないよ。しかも、僕の本体を守ってる」
「本当か? それで、場所は……」
 シャンレイは少し興奮していた。だが、パレッティがすまなそうに上目遣いに答えた。
「まだわからないの……。それを探してるの、あたしたち。だから、協力してくれない……?」
 シャンレイはどうしたものか、と思案した。
(地上に飛竜は一体。目的は重なるな。それにパレッティはまだ小さい。パズズがいるとはいっても……危険だな)
 二人を見比べながら真面目な顔で考えていると、パズズの顔はあからさまに不機嫌になっていった。猫のようにつり上がった金の双眸はその鋭さを増す。
「……?」
 それに気づいたシャンレイは彼と視線を合わせた。すると、パズズはびしっと彼女を指さした。
「何を悩んでるのさっ。この僕の役に立てるなんて光栄だろう? 僕のために働くんだから、拒否権なんてないのっ!」
 胸を張って言う高慢な使者に、少々諦めの溜息が零れる。シャンレイはふとパレッティの入ってきた窓辺を見た。あの黒馬が大人しくこちらを見つめている。
(……あの術は魔術でも、精霊術でもない。もっと強い力を感じる。何か惹きつけられるものがある……)
 彼女は苦笑してパレッティの頭を撫でた。
「まぁ、いいだろう。パレッティをパズズに任せるのも不安だからな」
 その一言が二人の表情を一瞬にして変えた。
「わぁいっ!」
「どういう意味!? シャンレイ!!」
 歓喜して飛びつくパレッティと、再び怒って髪を引っ張るパズズ。シャンレイは対処に困った。とりあえずパズズは服の背をつまみ上げて引き剥がし、空いている方の手でパレッティの肩をそっと押す。パレッティはきょとんとした顔で彼女を見上げた。
「今日はもう遅い。早く眠った方がいい。それと……」
 彼女の目の前に、先程つまみ上げたえらくプライドの高い黒天使をぶら下げた。
「ちゃんとこれを連れていってくれ。教育しなおした方がいいかもしれない」
 情けない格好のパズズに、少女は思わず吹き出した。
「ぷっ、あはっ、あはははははっ!」
 抱腹絶倒する主人を目の前に、使者殿の自尊心は酷く傷ついた。彼の怒りは、頂点に達してしまった。反撃の体勢になる。標的はもちろん、こんな目に遭わせてくれた東方人だ。
「痛っ……」
 シャンレイは予想外の攻撃に、反射的に手を離した。指に噛みつかれたのだ。パズズは満足そうに笑みを浮かべた。そして、その傷口から流れてきた紅い血を舐める。その行為に慈悲はない。肉食動物が獲物を得た満足感に似ている。パズズはシャンレイに残忍で妖艶な笑みを向けた。
「僕にした愚行のお仕置きは、これくらいにしておいてあげるよ」
 満面に勝利した優越感を浮かべ、部屋を出ていった。パレッティは慌てて追いかけようとした。その時、視界にスレイプニルをとらえ、彼の方に歩み寄る。
「スレイプニル、ご苦労様。還っていいよ」
 すると黒馬はすっ、と消えてしまった。それを見送ると、パレッティはシャンレイの方を見た。
「あたしはね、世界でたった一人の召喚師なんだ。魔術とは違って、神様たちの使者を呼び出すの。それに、魔術もちゃんと使えるから足手まといにはなんないからね」
 それじゃあまた明日ね、と微笑むとパズズを追いかけて走っていった。シャンレイはふと溜息まじりに笑みを浮かべた。そして、まだ血の止まらない傷口を見た。
(本当にあれが神の使者なのか……?)
 何故か納得がいかない。あの笑みは、何か恐怖させるものを感じさせた。
(まあ、いいか……。パレッティを信頼することにしよう)
 窓を閉め、ベッドに潜り込む。彼女はそのまま深い眠りについた。



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