partita 〜 世界演舞

第一章 己が目的への回廊(3)


「ガセじゃないだろうね、シャンレイ」
 三人が次に辿り着いた町でシャンレイが仕入れた情報によると、北の洞窟で飛竜を見たということだった。パズズは乗り気ではない。パレッティの肩の上で、さも面白くなさそうに頬杖をついている。
「それは行ってみなければわからないだろう」
 森を歩き出して、まだ数時間しかたっていない。
「僕、もう疲れちゃったよ。いつになったら着くのさ?」
 苛立った声をあげてふてくされる。
(……お前は疲れたのではなく、退屈なだけだろう……)
 呆れ半分に心の中で悪態をついて、シャンレイは溜息一つ。
「パレッティ、大丈夫か?」
 それでも頑張って歩いている彼の主人への心遣いは忘れない。
「うん! まだまだ大丈夫!」
 元気はあるようだ。この分なら大丈夫そうだ。そっと微笑んでみると、パレッティの表情がパッと明るくなった。
「シャンレイ、笑うとすごく優しそうに見える」
 どうやら誉められたらしい本人は、複雑な顔でそれに応えた。そして、ふとパズズに目をやった。
「そう言えば、パズズの本体があるところに飛竜がいるとか言っていたが……。本体とはどういうことなんだ?」
 今更な質問にパズズは溜息を零した。
「鈍いんじゃないの? 普通、もっと早く気がつかない?」
 呆れ返っている黒天使殿を尻目に、パレッティは説明を始めた。
「パズズはね、今は精神体なんだ。肉体と分けられてるの。パズズが言うには『力が強大すぎるから』なんだって」
 ふむ、と納得するシャンレイに本人は偉そうにふんぞり返る。
(それは本当かもしれないな……)
 現に、彼からは底知れない力を秘めたオーラを感じる。――― その時、彼女は正面から気配を感じた。隠そうともしない、大胆で凄まじい闘気だ。
「……パズズ」
 気付いているだろう彼に声をかける。その顔は険しい。
「わかってるから、いちいち呼ばないでよ」
 パズズは不機嫌そうに返す。
「……?」
 状況を把握できないパレッティは、シャンレイの中性的な顔を見上げる。この武闘家は少女の頭を撫でた。
「下がってくれ」
 その言葉でようやく事態を認識し、後ずさりする。シャンレイは強い視線をその気配の方に向けた。すると、木陰からその気の持ち主が出てきた。
「今日は大物が釣れたかもな……」
 男でも大きいくらいの身長の者が現れた。女性としては背の高いシャンレイより、頭半分くらい高い。しかも、女性のようだ。
「何か……?」
 訝しんで訊くシャンレイに、女はにやりと笑みを見せた。
「一番強ぇ奴と勝負がしてぇ」
 するとパズズが翼をはためかせ、優雅にシャンレイの頭に降りた。そして、胸を張ってこう言う。
「一番強いのは僕だけど、相手するならシャンレイで充分だよ」
「もとより、そのつもりなのだろう?」
「ま、そういうこった」
 パズズの話を半ば無視して話がついた。シャンレイは構えを取り、女は腰に挿した刀を抜いた。いつの間にか蚊帳の外に放り出された本人は憤慨する。
「ちょっと! 人の話、聞いてるの!?」
 さらにそれも耳に入れず、二人は向き合う。女の刀は濡れたような光を秘めている。普通のものより若干、刀身が細い。離れていても、その刀の良さがわかる。
「トンファは使わねぇのかい?」
 女は不思議そうに訊く。シャンレイは目を細めた。
「素手が最大の武器だ」
 彼女の答えに女は口笛を鳴らす。
「へぇ、格闘術かい。気に入った。あんた、何者(ナニモン)だ?」
「[翔舞流格闘術]、名はシャンレイ」
 体勢を崩さずに彼女は返答した。
「しょ、[翔舞流]だって!?」
 女はオーバーなくらい驚いていた。パズズも同様だ。格闘術に関しては疎いパレッティは、パズズを見上げた。
「ショーブリュー?」
「かつて[風使い]と呼ばれた、格闘術最強の流派だよ。どんな技を使うのか知られてない。幻とか、伝説とか言われてて、実在するのかさえわからないっていう噂だったんだよ」
 パズズはいつになく興奮している。すると、女は突然豪快に笑い出した。
「あははははっ、こいつぁ驚いた! 俺はミサキだ。[翔舞流]の奴に出会えるなんてツイてるぜ!」
 ミサキは自分の間合いを取り、刀を振り上げた。パズズは瞬時にシャンレイの頭から離れる。ミサキの太刀が振り下ろされた時、ハッとしてシャンレイは後ろへステップを踏んだ。
「!」
 刀は空を切ったものの、後退したシャンレイの肩口から紅い液体が流れる。ミサキは不敵な笑みを見せた。
「……成程。剛の剣か」
 シャンレイは再び構える。風圧で切り裂かれた肩の傷は、幸い浅くすんでいる。
「シャンレイ!」
 パレッティが不安そうに声をあげた。
「ちょっと、しっかりやってよねっ!」
 パズズまでがなんだか眉間にしわを寄せている。
「言われるまでもない。まだ一太刀目だぞ」
 シャンレイは心外、と言わんばかりに返した。その目はミサキを見据えたままだ。
「余裕だねぇ……」
 ミサキは自分の剣域にシャンレイをとらえ、薙ぎ払う。すかさず跳び上がり、ミサキの肩に手をついて背後にまわった。身をかがめ、足払いをくらわせる。しかし、ミサキは体勢を崩さなかった。
「俺を転ばせるにゃ、甘いぜ」
 彼女は振り向きざまに刀を振り下ろす。シャンレイはそれを紙一重でかわし、鳩尾を膝で蹴り上げた。
「!!」
 思いもよらない重い衝撃に、ミサキは後ずさった。反撃する隙も与えずに間を詰め、正拳を繰り出す。
「勢っ!」
 気合いの声と共に拳が命中すると、そこから離れて構え直す。ミサキは今の攻撃が見えていなかった。少しよろめいて後ろに下がる。
「……ミサキ、貴方は凄まじい剛剣の使い手だ。しかし、二つの欠点がある。それを克服せねば、私には勝てない」
 シャンレイははっきりと言い切った。二人の間にさらなる緊張が走る。ミサキは舌打ちをすると、一気に間を縮めて突いてきた。シャンレイはそれを難なくかわし、脇腹に一撃を入れる。ミサキはそれに耐え、胴を薙ぐ。が、身を屈めてそれをやり過ごすと正面に入り込む。そして立ち上がる力を利用して、掌底が顎を突き上げた。
「がぁっ!」
 ひとまわり以上も大きいミサキが、やすやすと吹っ飛ばされた。観戦する二人は唖然となる。
「シャンレイ、すっごーい!」
 パレッティが歓声をあげる。すると、ミサキは立ち上がった。彼女の中では葛藤が起きていた。
(……負けられねぇ)
(……でも、こっちの攻撃が全然当たんねぇ)
(それでも、負けたくねぇな!)
 勝とうとする意志が彼女を動かした。シャンレイに向かっていき、両断せんとばかりに刀を振り下ろす。しかし、手応えはなく、シャンレイの姿は消えていた。次の瞬間、強烈な蹴りが脇に決まった。苦痛に顔を歪めるミサキに、この格闘家は表情一つ変えずに言う。
「もうやめよう。これ以上は無意味だ」
 シャンレイの言葉を認めることはできなかった。しかし、体の方は思うようには動かない。
(負けたくない。負けたくない。負けたくない……、負けたくねぇ!)
 ミサキの気持ちが頂点に達したときだった。ミサキの中で、炎が燃え上がった。
「!!」
 彼女の闘気が急に膨れ上がった。シャンレイはその紅く、血の煮えたぎるようなオーラに飛び退いた。
「……まさか」
 パズズははっとして呟いた。既にミサキのオーラは闘気ではなく、殺気となっていた。その気の強さは、今まで笑って見ていたパレッティを恐怖させる程だった。
「な、なんなのぉ!?」
 鬼相となったミサキはシャンレイに向かい、物凄い力で斬りかかってくる。回避しようとしたシャンレイだったが、後ろにパレッティがいることに気付いてそれを受け止めた。しかし、先程とは比べものにならない刀圧に、シャンレイが吹っ飛ばされる。かろうじてパレッティの前で踏みとどまり、シャンレイは歯を食いしばる。刀を受けた腕は、やや深く切り裂かれていた。
「狂戦士か……?」
「キョウセンシ……?」
 シャンレイの言葉をおうむ返しに訊く。
「……西方で言うバーサーカーのことだよ。相手を完全に倒すまで、倒れない。……ま、これでシャンレイの勝ちは決定だね」
 パズズは口元に笑みを乗せた。戦況はどう見てもシャンレイが不利だ。パレッティにはその理由がわからない。シャンレイは体勢を立て直し、目の前のものを破壊することしか考えられなくなった狂戦士を見た。
「ミサキ、それではだめだ」
 シャンレイの構えが変わった。防御を念頭に置かない、攻撃重視の構えだ。ミサキは依然として刀を振り切った状態のまま、彼女を見据えている。
「……次の一撃、シャンレイは大技を出すつもりだね。きっと気絶を狙ってる」
 パズズは興味深そうに呟く。パレッティも見逃すまいと身を乗り出した。シャンレイとミサキはかなり離れている。両者ともまったく動かない。
(……おかしい。狂戦士なら迷わず斬りかかるはずだ。なのに、動かない……? ただの狂戦士ではない、ということか……)
 一陣の風が木の葉を騒がせる。
「!」
 シャンレイは目を見開く。同時に、ミサキも走った。
「破ぁぁぁっ!」
 シャンレイはその場から拳を繰り出した。すると拳圧ではない、もっと強い何かがミサキを襲う。
「!?」
 ミサキはとっさに刀でそれを受け止めた。その瞬間、シャンレイは数歩の助走で跳んだ。
「えっ?」
 パレッティは驚いた。シャンレイの跳躍は、人間のそれをはるかに上回るものだった。シャンレイはミサキの目の前に着地した。その後、彼女が何をしたのかはまったく見えなかった。次の瞬間にはミサキがどうっと倒れ込んだ。
「あれれぇ?」
「なっ……」
 さすがのパズズも呆気にとられていた。シャンレイは一つ息をつくと、土のついたミサキの顔を拭き、背に担いだ。
「パレッティ、すまないが枕になりそうなものを出してくれ」
 シャンレイの言葉に、パレッティは荷物の中から毛布を出した。それを道から少し外れたところに置くと、ミサキを寝かせる。そして自分の傷を簡単に処置した。
「ねぇねぇシャンレイ、最後の技、あれ何したの?」
 パレッティは目を輝かせて尋ねる。その質問に答える前に、パズズが割り込んできた。
「シャンレイ、精霊術使ったでしょ。最初の遠当てと跳躍の時! 風の精霊(シルフィード)が動いてた」
 パズズの金色の瞳が訝しげに向けられる。
「いや、精霊術は使っていない。私には魔力がないからな」
 シャンレイは首を振った。すると、パズズはむっとした表情になる。その反応に少し困ったように、少し思案して拳を出す。
「この技は[翔舞流]での基本的な力、[風使い]だ」
「え?」
 シャンレイが拳をグッと握りしめると、風が生まれた。二人には、そこにシルフィードが存在するのが見える。魔力のないシャンレイには風が拳に集まっているようにしか見えないのだが。
「精霊術みたいな契約もないし、召喚術みたいに呼び出してるわけでもないね……」
 パレッティが呟く。
「[風使い]の力は、風との一体。風が自由意志で力を貸してくれるのだ」
 拳をゆっくり広げると、精霊が木の葉を揺らして還っていく。
「風と一体化するって……自分も風になるっていうこと?」
 召喚師の少女は種も仕掛けもないシャンレイの手を観察し、彼女に尋ねた。
「そういうことだ。元来[翔舞流]は、東方の風の神官たちの格闘術だったからこんな力があるわけなんだが」
 シャンレイの説明にパズズは面白くなさそうに顔を背けた。
「なんだよ。それじゃあ、魔力がなくても精霊術が使えるってことじゃない。インチキだよ」
 その文句に、シャンレイは溜息をつく。
「いや、魔力なしに力が使えるのは[風]だけだ。それに[風使い]の力の修得には、厳しい修練とわずかな[風]に認められる素質がいる。誰もが使えるものではない」
 何気なく空を見上げる。茜色に染まりつつあるその遥か高い場所は、何処で見ていても同じなのだろうか。何とはなしに、ふと思う。
「そ・れ・で、最後はどんな技だったの?」
 パレッティが服を引っ張る。
「あぁ、あれは遠当てから間合いを詰めて連撃を入れたのだ」
 どうやらパズズも見えなかったようだな、とシャンレイは少し笑う。
「な、何言ってるの! 見えてたに決まってるでしょっ! シャンレイの技くらい見えない僕じゃないんだからねっ!」
 パズズは喰ってかかったが、シャンレイはお見通しのようだ。
「私に精霊術を使ったと言った時、遠当てと跳躍に関してしか言わなかっただろう。あの連撃技[風塵(ふうじん)]は、すべて[風使い]の力を使った気絶狙いの技だ」
 シャンレイの言葉にパズズはぐっと押し黙った。
「顎、下腹部、鳩尾の三カ所に全部で九発打ち込んだ。……しかし、このミサキの狂戦士化は妙だな……」
 シャンレイは目を覚まさないミサキに目を向けた。その表情は穏やかで、先程までの形相が嘘のようだ。夕焼けのように赤い髪が、さらさらと風に揺られている。
「何で?」
 パレッティは首を傾げた。すると、パズズが得意げに説明を始める。
「バーサークすると、普通は理性的な行動が取れなくなるんだよ。でもミサキは最初の一撃の後、様子を窺うように動かなかった。本来なら、死ぬまでシャンレイを攻撃していたはずだよ」
 ふぅん、とパレッティは頷いた。シャンレイは黙ってミサキを観察していたが、辺りが暗くなってきたことに気付いて焚き火を始めた。
「……パズズ、どういうことなんだ?彼女の能力が不完全だったのか?」
 薪をくべながら、パズズに訊いてみる。
「やっと僕の偉大さがわかったんだね」
 パズズは心底嬉しそうにシャンレイの顔をのぞき込む。
「えぇぇぇぇっ! ミサキって、女の人だったのぉ!?」
 突然素っ頓狂な声をあげたパレッティに、使者殿はご機嫌ななめになった。
「今更そんなこと指摘しないでよっ! 話の腰が折れちゃうじゃない!」
「まあ、そういうことだったのだよ、パレッティ」
 その話にとりあえず終止符を打ち、元の話に戻す。
「で、どういうことなんだ?」
 パズズはニヤリと笑みを浮かべた。
「不完全じゃないよ。あれが完全に近いんだ」
「完全に近い……?」
 おうむ返しに尋ねる。パズズは得意そうに説明を続ける。
「力の制御ができて、初めてものになるんだよ。ま、ミサキのは、相手がシャンレイだったから意志とは無関係に制御してたんだね」
 不可解な答えにシャンレイは眉をひそめる。
「どういうことだ?」
「これ以上は教えてあげない。自分で考えたら?」
 パズズはシャンレイの頭をポンポンとたたいた。シャンレイは溜息をもらした。
(聞くは一時の恥、と思ったものの、教えてはくれないなら聞くも聞かぬも同じ、というわけか……)



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