partita 〜 世界演舞

第二章 孤独を開放する扉(3)


 そろそろ陽が南へ昇りきる、そんな時間だ。洞窟まではそんなに距離はないと思われる。そんな中、ソルティの表情が突然変わった。――― まずい。彼の顔にはそう書いてあった。
「……ソルティ?」
 シャンレイはそれに気付き、振り返った。自然に連鎖を起こし、一同は足を止めた。小鳥のさえずりが羽音に変わった。
「妖魔のにおいに混じって……、あの人の香りがする。歩けば歩くほど、近くなっている」
 ソルティは声を押し殺す。
「あの人って、例の貴族の人?」
 パレッティの問いに真剣な顔で頷く。
「洞窟にいるか、その手前にいるか、それとももっと奥か……。 どっちにしても、出くわすね」
 パズズは不敵な笑みを見せる。面白くなりそうだ、そう目が語っている。
「何とかするしかないだろう。悩んでいても仕方ない」
 シャンレイはそう言うと再び歩き出した。そりゃそうだ、と呟いてミサキが続く。パレッティもその後を追ったので、ソルティは緊張した面持ちで足を進めた。
「しかし、妖魔が近くに潜んでいるのは明白だな」
 シャンレイは周囲の気配に注意しながら慎重に進む。一行に張りつめた空気がまとわりついてくる。妖魔がいること、そしてソルティを狙う騎士がいること。おそらく、全員が嫌な予感を感じている。それは、洞窟に近付くに連れて酷くなっていく……。
「……」
 洞窟が見えた時、最初に足を止めたのはソルティだった。茜色に染まり始めた空から降り注ぐ日差しが、彼の緊張感を煽るかのように辺りを染め始める。それに気がついたパレッティが立ち止まるのと、シャンレイが森の奥を振り向くのはほぼ同時だった。ミサキもただならぬ様子に、シャンレイの視線の先に向かって刀を抜く。ソルティも背の大剣を抜いて構えた。
「……血のにおい。それに、何かが焦げたにおい……」
 パズズの声が静かに響く。
「あれは、獣か……?」
 ソルティは嫌な顔をした。嫌悪感が彼を襲う。パズズはその言葉にニヤリと笑った。
「決まりだね。炎の妖魔、地獄の黒犬(ヘルハウンド)だよ」
 草の上を何かが引きずられてくる音。それとともに足音が近づいてくる。
「……五匹、いや六匹か?」
 シャンレイはパレッティを守るように前へ出た。黒い影が一団を成して、じりじりと迫ってくる。嫌な臭いが立ちこめる。
「ちょっと、何、あれ……?」
 パレッティは黒い影がくわえてきたものに驚愕した。腐敗した肉塊。焼けただれた皮膚を食いちぎったようで、そこから内蔵が引きずり出されている。足、腕、頭……。 間違いない。――― 人間だ。 その顔は恐怖に引きつったまま、片目を抉り取られている。ソルティは顔をしかめた。
「な、何なんだ……?」
 ミサキも驚いている。獣たちは飢えているらしく、新しい餌に驚喜してくわえているものを捨てた。
「パレッティ、あのくらいで怖がってるの?」
 パズズの嫌味が少女の負けず嫌いな性格を刺激した。
「こ、怖くなんかないもん!」
「パズズ、あいつらどんなことできるんだよ?」
 ミサキが楽しそうに尋ねる。パズズはあからさまに面倒くさそうに答える。
「口から炎のブレスを吐くだけの、ちょっとばかりすばしっこいただの犬だよ」
 その言葉と同時にヘルハウンドの一群は襲いかかってきた。
「破ぁぁぁぁぁっ!」
 一群に向かってシャンレイの遠当てが飛んだ。何匹かがそれをかわす。
「パレッティ、時間を稼ぐ! 何か魔法を!」
 シャンレイは飛びかかってきた一匹の口をつかんで放り投げた。すると、ヘルハウンドは次々にシャンレイを目標に飛びかかってきた。それに応戦する彼女をサポートしたのは、ソルティの大剣だった。彼の剣は黒犬の腹を薙ぎ、その勢いで跳ね飛ばした。一方、遠当てのダメージから立ち直った一匹がパレッティに向かってくる。それはミサキによって阻まれた。ミサキはその剛腕でスパンと首をはねる。パレッティは呪文を唱え始めていた。
『天より流るる清き流れ……』
 澄んだ声が魔力を具現化する言葉を紡ぐ。すると、別の方向から同じ詠唱が聞こえてきた。
『其は鋭き刃。我が名は育みし知識の樹。汝が力、ここへ示さん』
 洞窟の方から響く「声」がパレッティのものと重なり、 静かに和音を形成した。シャンレイとソルティはハッとしてヘルハウンドから離れた。
『[氷の刃(ティ・オ・フェール)]!』
 無数の氷が刃となり、次々に妖魔に突き刺さっていく。溢れる血の海。そこで生き残っているのは、たった一匹だけだった。そして、残された黒犬に「声」が言い渡す。
「失せろ。汚らわしい妖魔め」
 威厳のある一言にヘルハウンドは弱々しく吠えながら逃亡した。呆然としていた彼らもハッとして振り返った。
「あっ……」
 ソルティの顔が固まった。そこには、白い馬に乗った上流階級の身なりをした気品のある男がいた。
「あぁぁっ! この人っ! 例の騎士団の……。 そう、フォートエイルの伯爵様!」
 パレッティは思い出したかのように口早に言った。ソルティは奈落の底へ落ちて行くかのように表情が変わった。
(……この人が、騎士団の最高指令なのか……?)
 伯爵は馬から降りて、ソルティと向かい合った。
「……ようやく再会できたな、ライカンスロープ。――― 確かソルティ、といったな」
 透明感のあるアクアマリンの瞳がソルティを射抜く。
「……セルリオスさん」
 ソルティは拳を握りしめた。伯爵、セルリオスはレイピアを抜いた。ソルティも躊躇いながら剣を構えた。
「いい心構えだ」
 セルリオスは一気に間を詰める。渾身の力を込めた突きが繰り出される。
「な、何っ……?」
 セルリオスの剣先は、ソルティの喉元に届くか届かないかのところで止められた。セルリオスの右腕はシャンレイによってつかまれている。
「剣を交える前に、話を聞いてほしい」
 シャンレイが呟く。セルリオスは彼女と視線を合わせた。すると、二人に不可思議な錯覚が訪れた。あたりのすべての風景が、一瞬にして消え去る。
―――汝ら、対の力を有するもの。 其は「動」なり。 孤独を背負う者なり。
 シャンレイに向かって声が響く。
―――其は「静」なり。 圧力を受ける者なり。
 セルリオスにも声が届く。二人は顔を見合わせた。その時、お互いに何か発光するものを見つけた。シャンレイは左の鎖骨の下。セルリオスは左の二の腕だ。そして、不思議な現象は終わった。
「シャンレイ、どうしたの?」
 見つめ合ったまま動かない二人にパレッティは声を投げかける。
「――― え? あ、あぁ」
 我に返ったシャンレイはセルリオスの腕から手を離した。伯爵もハッとして身を引く。お互いの発光は止んでいた。
「何故邪魔をする。貴方は、ライカンスロープに味方するのか?」
 彼は冷静な表情を崩さずに問う。
「味方するのではない。貴殿のやり方が不当であると判断したので、割って入ったのだ」
 シャンレイは静かに答える。セルリオスは眉をひそめた。彼女は気にせずに続ける。
「貴殿はソルティを頭から悪として見ている。だが、貴殿はどこまで彼らの一族のことを知っている?」
 セルリオスは黙って聞いていた。今度はパレッティが口を出す。
「ソルティの狼化は発作的なものなの。自分ではどうしようもなかったのっ」
 少女は必死に二人の決裂を食い止めようとした。伯爵は彼女の言葉にも黙ったままだ。そう、口で言っているだけでは信用できないと言っているのだ。パレッティにはこれ以上何を言えば伝わるのかわからなかった。すると、溜息が漏れた。パズズだ。
「あのさぁ、伯爵。大人気ないんじゃないの? よくソルティが狼化した時のこと、思い出してよ」
 何もかも知っているような黒き天使。強大なオーラを持つ彼にセルリオスは驚いた。
「あの時、ソルティはどうしたっけ?」
――― ……は、離れて……くだ……
「!」
 セルリオスはハッとした。彼は離れろ、と警告した。それでも近づこうとした弟を突き飛ばしたのは、被害を大きくしないため。窓から飛び降りたのは、人を傷つけないため。妹を傷つけたのは、窓ガラスを割る時に破片で怪我させないため。二人が怪我してしまったのは、力を制御しきれなかったから ―――。 そう考えるとつじつまが合う。
「……」
 考え込む伯爵にパズズはニヤリと笑みを零す。
「……セルリオス殿、だったか。 貴殿が話してわからない人とは思えない。ソルティがしたことを許しきれないのは仕方のないことだろう。だが、ソルティが決して悪気があったわけではないことだけは、わかってもらいたい」
 シャンレイは真剣にセルリオスに言う。
「ライカンスロープだからって悪い人じゃないの!ソルティは本当に騎士になりたいんだから!」
 パレッティも一生懸命アピールをした。ソルティはなんだか、いたたまれなくなった。
「あの……」
 ソルティは許されようとは思っていない。シャンレイはそれを察して言葉を遮った。
「この場はパレッティの、この少女の気持ちに免じて引いてほしい」
 彼女はパレッティの頭を少々乱暴に撫でた。すると、セルリオスの表情が一転した。
「―――パレッティ?まさか、父君は古代言語学者で、母君は魔法学の権威では……?」
「そうだけど……」
 パレッティはそれが何か関係あるのか、と思いながら伯爵を見上げる。
「やはりそうか! 君が召喚術を手にした娘さんか!」
 セルリオスの表情は嬉々としている。ソルティもパレッティも突然の変化に唖然とした。
「わかった。彼女に免じてこの件は保留にする。しばらく同行させてもらい、その真偽をこの目で確かめる。それでいいか?」
 その言葉はシャンレイに向けられていた。シャンレイは深く頷く。
「異存はない」
 ソルティは複雑な心境で溜息をついた。そんな中、パレッティは妙に静かなミサキに気付いた。
「ミサキ?」
 パレッティの呼びかけにミサキは顔を向ける。
「……何だ?」
 ミサキはどうして自分が呼ばれたのかわからない。
「どうしちゃったの? ずいぶん静かだけど」
 パレッティの言葉に苦笑する。
「おいおい、それじゃあ俺がうるさいみたいじゃねぇか」
 ミサキは心外そうだ。
(実際そうなんだと思うけど)
 パレッティは心の言葉を飲み込んだ。ミサキはぽりぽりと頭を掻く。
「いや、だってよお。俺が口出したら、まとまるモンもまとまらなくなるだろ?」
 パレッティはぷっと吹き出した。まさにその通りかもしれない。ミサキは少しふてくされた。辺りは徐々に暗くなってきた。静まり返る森の中、シャンレイは空を見上げる。無数の星が一面に広がっていた。今にも降ってきそうな輝きに、一つ息を吐く。
「何だよ。目の前に目的地があるってのに入らねぇつもりか?」
 ミサキはつまらなそうに口をとがらす。
「あぁ。どれだけ広いかもわからないし、何が出てくるかわからない。休息を取った方がいいだろう」
 シャンレイの言葉にソルティは荷物を適当な場所に移動させた。
「貴方たちの目的地はこの洞窟なのか?」
 セルリオスは目の前の暗く大きな穴を見た。
「当たりかはずれかは別だけどね」
 パズズは不満そうな顔をしている。かなり遠回しな答え方をしたため、セルリオスにはうまく理解できなかったようだ。パレッティが今までの経緯を、紹介を交えながら端的に話した。
「そういうことか。しかし、ワイバーンは風の第一級高位体。それも、最高位の神獣だ。その鱗を一人で取りに行くとは、いくら武闘家が接近戦のプロフェッショナルとはいえ無謀ではないか?」
 セルリオスはあまりにも大きすぎる目的に少々驚いているようだ。それに対してシャンレイは口を開かなかった。かわりに言葉を返したのはパーティで一番口数の多いその人だった。
「流派継承の試練だよ。ということは、継承した人物はやってのけたって事なんだよ。もっと頭使ったら?」
 セルリオスは話を最後まで聞いていなかった。そして興味深そうにシャンレイを見る。
「まさか……幻の[風使い]……」
「[翔舞流]は現存する。幻ではない」
 シャンレイはそう返しながら焚き火を始めた。
「……そ、そうだったのか」
 ソルティも初耳だったため、驚きを隠せなかった。その時、シャンレイはふと最初にセルリオスと目が合った時のことを思い出した。
「セルリオス殿。さっきのあの現象、何か心当たりはないか?」
 彼も思い出したようだ。しかし、うつむいて考え込む。
「……いや。 あの声に聞き覚えはない。それに発光現象。まったく身に覚えがない」
 そうか、と呟いてシャンレイも考え込む。
「ねえ、二人とも何の話?」
 パレッティは訳のわからない話の展開に眉を寄せる。
「私がセルリオス殿の腕をつかんだ時の話だ」
 シャンレイの言葉にポンと手を打つ。
「二人が、なんか見つめ合ったままボーっとしてた時?でも、声とか発光とか、何のこと?そんなのなかったよ」
 ね、とミサキやソルティに同意を求める。二人もうんうんと頷いている。シャンレイは訝しげに目を細めた。
「私たちにしか見えなかった、ということか……」
 セルリオスは呟いて、この納得のいかない状況に考えを巡らせた。すると、シャンレイの顔からサッと血の気が引いた。表情も何か嫌なことに思い当たったかのようだ。
「ど、どうした、シャンレイ?」
 ミサキはあまりにもあからさまな変化に驚いて彼女に近寄った。シャンレイが動揺するなど、見たこともない。いつも感情をあまり表に出さない、それがシャンレイだった。彼女は愕然とした表情のままセルリオスを見た。
「……すまないが、左腕を見せてくれないか?」
 セルリオスの眉が軽くはねた。様子のおかしいシャンレイに問いただすのも酷に思い、袖をまくりあげた。すると二の腕の、ちょうど発光していたあたりに何かの紋様が描かれていた。
「あれぇ? これって大地の紋章じゃないの?」
 パレッティは見るとすぐに言い当てた。当のセルリオスも驚いている。
「今まで、このようなものはなかったはずだが……」
 それを見たシャンレイは蒼白となり、自分の心臓をつかむかのように服を握りしめた。
「シャンレイ、どうかしたの?」
 心配顔のパレッティは彼女の背をさすった。シャンレイの横顔に、冷や汗が浮かんでいるのが微かに見える。
「シャンレイ。あなたの左胸のあたりも光っていたが、何か心当たりがあるのか?」
 セルリオスの問いにシャンレイはビクンと反応した。その顔は何かに怯えているようにさえ見えた。
「おい、シャンレイ。どうしちまったんだよ」
 ミサキがシャンレイの肩を揺すると、彼女はハッとして顔を持ち上げた。皆の心配そうな顔が映る。自分をいくらか落ち着かせると立ち上がった。
「……その紋章に害はないはずだ。すまない、しばらく一人にさせてくれ」
 シャンレイはそう言い残すと、森の中へ消えていった。
「放っておいていいのか?」
 ソルティはシャンレイの消えた方を見る。沈黙の後、パズズが口を開いた。
「――― 放っとけば?そんなに遠くに行ってるわけじゃないみたいだし」
 一つ欠伸をするとパレッティの頭の上で横になる。その言葉に一同は顔を見合わせ、暗黙のうちに彼女をそっとしておくことになった。
「シャンレイ、伯爵様の腕の紋章を見て真っ青になってた。……何かあったのかなぁ?」
 心配そうにパレッティが呟いた。誰も言葉を返すことはなかった。――― 夜はそのまま更けていき、 シャンレイが戻ってきたのは翌朝だった。



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