partita 〜 世界演舞

第二章 孤独を開放する扉(4)


 洞窟に入る前に、一行は話し合いを始めた。
「シャンレイ、大丈夫かよ?」
 ミサキがまずシャンレイの顔をのぞき込んだ。昨日の様子からすると、好調というわけにはいかないだろう。それでもシャンレイは頷いた。
「心配ない」
 不安は残るが、ミサキは追求することを良しとしなかった。目の前には目的の洞窟がある。朝の日差しもこの中には差し込まない。
「ソルティ、妖魔の気配はあるか?」
 シャンレイは彼の方に振り返る。
「あぁ。においは充満してる。確実に何かいる」
 ソルティは頷いた。
「隊列を組まねばならないな」
 セルリオスは四人を見回した。武闘家、召喚師、戦士、剣士……。 近接戦向きの構成だ。
「前列にシャンレイとソルティ。後列にはミサキと私がつき、その間にパレッティだな」
「いや、前列は私とミサキだ」
 シャンレイの指摘に一斉に振り向いた。パズズは当然とばかりに頷いている。それを見て、ミサキはようやくその理由がわかった。
「――― あぁ、そういうことだったな」
「どういうことだよ?」
 ソルティはさっぱりわからない状況に肩をすくめた。
「ミサキのバーサークはシャンレイじゃないと緩和できないんだよ」
 パズズが説明するとソルティは納得したようだったが、ハッとしてパズズの方を振り返った。
「……今、何て言った?」
「だから、ミサキのバーサークを止められるのはシャンレイだけだって言ったんだよっ。何度も訊かないでよねっ」
 パズズの面倒くさそうな態度などどうでもいいらしく、ソルティは目をまるくした。
「バーサーク!?」
 素っ頓狂な声にパズズは耳を塞いだ。すると、シャンレイは不思議そうな表情になる。
「――― 話していなかったか?」
「そういやぁ、話した記憶はねぇな。ま、細かいことは気にすんな!」
 豪快に笑うミサキだったが、そういう問題ではない。
「バーサーカーにライカンスロープ。召喚師、[風使い]……。 とんでもないパーティだな」
 セルリオスは呟いた。
「それは伯爵様もだよ。[氷の刃]を倍以上の威力で、しかも目標をあんなに増やして息一つ乱れてなかったもん。そんな人、滅多にいないよ」
 パレッティはセルリオスを見上げて微笑む。そして準備を始めているシャンレイに近づいていった。セルリオスはそっと顔をほころばせた。
「――― 明かりは私が持とう」
 シャンレイはランプを取り出した。すると、パレッティがそれを止めた。
「あたしにやらせて」
 パレッティは目を閉じると精神を集中させた。
『空を照らす太陽の破片。其は闇消す粉末。我が名は闇にて和を成す者。汝が力、我に解き放て』
 呪文が完成し、パレッティの手の中で光が膨張する。
『[光照粉(ダー・ウェラ)]』
 パレッティは光を解き放ったが、何の変化もない。
「……パレッティ、 何をしたのだ?」
 シャンレイが訝しげに尋ねる。
「シャンレイのトンファを光らせようと思っ……」
「――― ぶっ、わはははははっ!はひぃ!」
 パレッティの説明が終わらないうちにミサキが腹を抱えて笑い出した。ミサキはソルティを指さしていた。
「ぷっ……」
 パレッティは思わず吹き出した。ソルティは自分を見て笑い出した二人に、眉をひそめた。
「見てみろ」
 セルリオスは溜息まじりにソルティに鏡を差し出した。そこに映っているのは光を放つ彼の髪であった。
「な、なんだ、これっ!?」
 ソルティは唖然とした。シャンレイも彼から目をそらす。彼女は笑いはしないものの、やはり直視するのは眩しかったようだ。
「パレッティ、解除を」
 見かねたセルリオスがパレッティに言う。彼女も慌てて呪文を唱えようとした。しかし、ミサキがそれを制した。
「いや、せっかくつけたんだ。消したら力の無駄使いだろ?」
 ニヤリと、さも面白そうに笑うミサキに説得力など欠片もない。だが、言っていることは的を射ている。そこは誰も反論しなかった。ソルティの顔は不安の色が広がる。
「……お、おい……」
「……」
 嫌な予感を打ち消そうと皆を見回してみるが、誰もうんともすんとも言わない。静寂の糸を断ち切ったのはセルリオスだった。
「――― まあ、パレッティには魔力を残しておいてもらうということで、ソルティ、腹を括るんだな」
「……結局そうなるんですね」
 落胆する彼を尻目に、シャンレイとミサキは洞窟の入り口へ歩いていった。
「お前が行かないと、先が見えないぞ」
 ひどく真面目に忠告するセルリオスに悪気はない。しかし、今のソルティにはからかっているようにしか思えない。少しふてくされながら渋々歩き出す。パレッティはそんな彼に責任を感じているようで、上目遣いに見上げる。
「ごめんね、ソルティ……」
 彼もこの少女を責める気はない。首を横に振ってその小さな背を軽く押した。
「行こうか」
 パレッティはふんわりと微笑むと、シャンレイたちの後ろについて行った。ソルティもそれに続き、前方が明るくなると一行は中へと進んでいった。
 荒い岩肌の続くこの穴は、人工的に作られたものではないようだ。慎重に一歩一歩進む一同ではあったが、罠どころか妖魔すら出てこない。
「……おかしいな、妖魔がいないなんてよ」
 ミサキは不服そうだ。戦うことが三度の飯と同じくらい好きな彼女には、この洞窟がつまらない穴に過ぎないことは明白だ。
「本当にオバカさんだね、ミサキは」
 パズズは肩をすくめて、わざとらしく溜息をついてみせる。ミサキはムッとして小さな使者殿を見返した。真っ赤なオーラがミサキの周りに発生する。
「ミサキ、パズズの言動にいちいち気を留めるな」
 シャンレイはミサキを宥めた。するとミサキはおうよ、と返答する。まるでパズズの言葉を忘れてしまったかのように、いつも通りに戻っていた。
「……この洞窟に巣食う妖魔は、夜行性の下級妖魔だろう」
 セルリオスは光のまったくない深い闇を見据えた。その言葉にソルティは伯爵を見た。
「つまり、俺のこの頭の光を嫌がって出てこないっていうわけですか?」
「そんなところだ。普通の[光照粉]にしては威力が高いからな」
  平然と言うセルリオスに、彼は溜息をつくしかなかった。その様子に、パレッティは、またすまなそうにフォローを入れる。
「で、でもっ、おかげで妖魔は出てこないわけだしっ」
「そうだよなあ。そんな髪、ソルティじゃなけりゃ恥ずかしくて表にも出らんねぇよな」
 ミサキはパレッティのせっかくのフォローを一撃で粉砕した。シャンレイは額に手をやった。ソルティは奈落の底へ降下していく。
「ミサキ……、今のはさすがにいかんと思うが」
 セルリオスは肩をすくめる。ミサキは誤魔化すように笑った。
「悪い、悪い。まあ、俺の言うことは気にすんな!」
 ソルティは投げやりな気分で肩を落とした。しばらくそっとしておこうという暗黙の了解が、完全にそれてしまった本題を呼び戻した。
「しかし、こんなところにワイバーンが存在するのか?」
 セルリオスは洞窟の通路の高さ、幅、そして底の土の様子を観察した。その言動にパズズの冷たい視線がシャンレイに向けられる。
「――― わからない。だが……、風の匂いがする」
 確信があった。この奥にいる「何か」が自分を呼んでいる。自分を引き寄せようとする意志のベクトルを感じていた。
「風の匂い……?」
 首をひねったのはソルティだった。彼の鼻はそのようなものを感じていなかった。何か羽毛のような匂いと、息づくもののにおい。そして妖魔と土のにおい。それだけしか感じ取ることができなかった。
「呼んでいるのだ。誰かが、私を……」
 シャンレイは何故か急いでいるようでさえあった。
「シャンレイ、どうしちまったんだよ?」
 ミサキは訝しげに彼女の顔をのぞき込んだ。別段、変ではない。しかし少し焦りを憶えているようだった。
「シャンレイ! 罠があったらまずいぞ! 待てよ!」
 ソルティは慌てて声をかけたが、シャンレイの耳には届かない。
「大丈夫だ。光程度で出てこなくなる妖魔が、罠を仕掛けるなど考えられない。それよりシャンレイを見失ってしまっては元も子もない。我々も急ごう」
 セルリオスの言い分に、皆は足早にシャンレイの後ろ姿を追いかけた。彼女は脇目を振らずに、まっすぐに進んでいった。すると一つの開けた空間が目の前に広がる。天井はなく、そこには陽が射している。突然明るい場所へ出たのですぐに気付くことができなかったが、この空間の三分の一を占める大きな生き物がいた。
「敵か?」
 ミサキが刀を抜こうとするのをシャンレイが制する。この生物は相当衰弱していた。命の灯火が今まさに消えようとしている。
「……鳥?」
 ソルティの呟きにパズズが訂正を入れる。
「風の第四級正位体、[ゴールデンウィング]だよ」
 その大きな鳥は、純白の体に黄金の翼を持っていた。鷲のような鋭い顔つきには温かさと儚さが混在している。シャンレイは躊躇うことなくゴールデンウィングに近づいた。
「私を呼んだのは、貴方か?」
 ゴールデンウィングは声こそあげなかったが、口を開いて何か伝えようとしていた。シャンレイは頷いた。
「わかった。その少女は何処に?」
 彼女はこの鳥と会話をしていた。しかし、見ている者には何を話しているのかまったくわからない。すると、パズズが仕方なさそうに解説した。
「彼は自分がいない間に迷い込んできた少女が、妖魔にいじめられてたのを助けたんだって。自分はもう命がないから、その子をここから連れ出してほしいって」
 ゴールデンウィングは奥の通路をくちばしで指した。シャンレイは頷き、巨鳥のくちばしを撫でた。
「安心していい。貴方は、もう何も心配せずに眠っていい」
 するとゴールデンウィングはすっと目を閉じた。シャンレイはこの黄金の翼を持つ鳥の額に手を乗せた。
「天から授かりし命を全うせし者よ。汝、再び天に還らん。汝、天に戻りて風王(ふうおう)の御元で永遠の自由を手に入れん……」
 葬送の言葉だった。
「シャンレイは風の神官でもあったのか?」
 セルリオスはパレッティに尋ねた。少女は首を振る。
「[風使い]の元が風の神官の格闘術なんだって」
「――― そうなのか……。あれは……?」
 セルリオスはシャンレイの姿を再び見て、我が目を疑った。彼女の背に翼が見えたのだ。彼女の周りに風が起こる。
「うわっ」
 パレッティは突然吹き付けてきた砂塵に対し顔を腕でガードした。
「あれ、翼だよな……?」
 ミサキが呟いた。すると、ソルティが訝しげに振り向く。
「何だよ、翼って……?」
「あれだよ、シャンレイの背中っ」
 ミサキは指さしたが、ソルティは何言っているんだ、と言いたげな視線を送ってくる。
「何もないよ。ミサキ、どうしたの?」
 パレッティも不思議そうにミサキを見上げた。
「――― どうやら、二人には見えないようだな」
 セルリオスの言葉で再びシャンレイに視線が集まる。
「……」
 抗議の目を向けるパレッティにはやはり見えないようだ。ソルティも同様だ。
「あれはまるで、風の神[風王]のようだ……」
 シャンレイの祈りが終わると、ゴールデンウィングの魂は風に舞い上がり、消えた。それと同時に風が止み、翼もなくなった。静寂が訪れる。
「――― な、何だったんだ……?」
 ミサキは呆然としている。今見ていた光景は幻だったのだろうか。そう思わずにはいられない。そんな彼女たちに気を留めることなく、シャンレイは奥の通路へ向かった。一同は慌ててその後を追う。
「……怖がらなくていい。 誰も貴方を傷つけたりしない」
 シャンレイは奥でうずくまっている少女に手を差し出した。少女は顔も上げず、その手を警戒している。そこへ皆がやってきた。
「……有翼族……?」
 セルリオスの言葉に視線が集まる。
「その数は減少する一方で、最近は生存も確認されていなかったのだが……」
 少女の背には幻ではなく、純白の翼があった。褐色の肌のせいか、一段と際立つその翼は小刻みに震えている。肩に軽く触れる蜜色の髪が、彼女の表情を隠していた。シャンレイは周りの驚きや好奇の混ざった目に気付き、有翼の少女を見た。――― 怯えている。 自分に向けられた目を怖れている。シャンレイはどうしていいかわからずに、そっと彼女を抱きしめた。
「大丈夫だ。誰も何もしない。貴方が怖がることはしない」
 少女はびっくりしてシャンレイを見た。彼女は何故か自分を責めるかのような顔をしていた。
「シャンレイ……?」
 パレッティは様子のおかしいシャンレイの肩に手をかけた。シャンレイはうつむいたまま呟く。
「彼女は皆の目に怯えている。わかっているか……?」
 ハッとして一同は顔を見合わせた。
「私は彼女を連れていく。ゴールデンウィングと約束した」
 シャンレイはキッと鋭い目を向けた。どこか別人のような彼女にみんなは戸惑いを感じている。
「おいおい、シャンレイ。そんなに怖い顔すんなよ。誰も反対しないし、誰もそのお嬢ちゃんを取って食おうなんて考えてねぇから」
 その一言でシャンレイは現実に戻ってきた。自分が何をしているのか、冷静に考えると情けなくなった。
「――― すまない……」
 腕の中で驚いている有翼族の少女は、彼女の反省した顔をじっと見つめていた。シャンレイは腕を放して立ち上がり、手を差しのべた。
「……ありがとう」
 少女はその手を取り、立ち上がる。そしてシャンレイに笑いかけた。初めて見せた笑顔は、先程の様子からは想像できないほど輝いていた。
「あたしはシェーン。お姉さんは?」
 少女は首を傾け、シャンレイの顔をのぞき込んだ。
「シャンレイだ」
 シャンレイの深い紺色の瞳はまっすぐにシェーンを見た。一点の曇りもない正直で真摯な目であった。
「じゃあシャンレイ。助けてくれてありがとう。それと、あの鳥さんを見送ってくれてありがとう」
 シェーンは軽く頭を下げる。それに対し、彼女は軽く首を振る。当然のことをしたまでだ。
「礼には及ばない。それより、ここから出よう。我々は旅をしている。どこかの集落まで送っていこう」
 シャンレイは彼女の肩を軽くたたく。すると、少女はじっとシャンレイを見つめていた。その視線にはすぐに気付く。どうしたのかと目で訴えてみると、彼女は口を開いた。
「……私は、仲間を捜したいの。同じ、羽根のある人たちを。もし、色々なところへ行くなら、あたしも連れていってほしいの」
 シェーンは真剣だ。シャンレイはその視線を受け止めてその頭を軽く撫でると、皆の方を向いた。
「私からも頼む。シェーンを迎え入れてくれ」
「――― 異存はないだろう」
 セルリオスが呟いた。全員が賛成の意を示した。するとシェーンの顔がパッと明るくなった。
「ありがとう!」
 年が近いせいか、パレッティはすぐに打ち解け、皆を紹介した。シェーンは楽しそうにそれに相づちを打ちながら、一人一人に挨拶してまわる。そして、あまり光の当たらないところに隠れている「何か」に気付いた。 それを察したパレッティはそれをつまみ上げた。
「この子はパズズ。あたしの守護者なの」
 パズズは突然シェーンの目も前に連れ出され、声も出ない。シェーンは目をまるくした。
「あ、あなた……もしかして有翼族なの!?」
 パープルピンクの不思議な色合いをした瞳が期待でいっぱいになっている。しかし、パズズのご機嫌は急降下だ。
「冗談はやめてよ。僕は高貴な存在なんだよ。有翼族なんて下等な種族と一緒にしないでよ」
 ふふん、とせせら笑う使者殿にシャンレイが殺気を放つ。パレッティもはらはらしてシェーンの反応を待った。
「あ、そうなんだ。ごめんなさい。早とちりしちゃった」
 彼女は照れ笑いを浮かべてパズズに謝った。どうやら堪えていないようだ。パズズもその素直な反応にご満悦だ。シャンレイたちはホッとした。そこへミサキがニヤリと笑う。
「とにかくよ、こんなしけたとこからは早々に立ち去ろうぜ。なんか、気分が悪くなりそうだ」
 な、とシェーンに振ると、彼女はニコリと微笑みを返した。
「そうだな。明かりが消えないうちに出た方がいいだろう」
 シャンレイは微かに目を細めると、先頭に立って戻っていく。ソルティがそれを慌てて追いかけた。
「ねぇ、シャンレイ。次は何処へ行くの?」
 駆け足で追いかけてきたパレッティが、シャンレイの腕に抱きつく。
「特には決めていないのだが……」
 シャンレイは考え込む。すると、後方から声がかかった。
「ならば、ファラサーンへ来ないか?」
 セルリオスだ。その言葉にパレッティが大きな声をあげた。
「えぇぇっ!」
「パレッティ、実は君の御両親がずっと探しておいでなのだ。一度戻ってみた方が良いと思うのだが」
 セルリオスの言葉にシャンレイは瞬きをして、目をまるくしている少女を見る。
「……パレッティ、 親に何も言わずに出てきたのか?」
 パレッティはそれに対し、ごまかし笑いを浮かべた。シャンレイは困った顔で彼女の頭を軽く小突いた。
「なら、行くっきゃねぇだろ」
 ミサキは楽しそうにそう言うと、一足先に洞窟を出た。しかし、戸惑っている者が一人いた。――― ソルティだ。
(ファラサーンへ行く……。俺はまだ、誤解を解いていない。セルリオスさんは何を考えているんだ……?)
「ソルティ? 早く行こうよ。みんな待ってるよ」
 シェーンは立ち止まったままのソルティの顔をのぞいた。紫の瞳がシェーンに焦点が合うと、口元にだけ笑みを作る。そして、戸惑いを隠せないまま、重い足を踏み出した。



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