partita 〜 世界演舞

第二章 孤独を開放する扉(6)


 フォートエイル伯の館に辿り着いたのは、既に陽が沈みかけた頃だった。一ヶ月ぶりに帰宅した彼が、全身ずぶ濡れであったことにメイドたちは仰天した。
「すまないが、タオルを何枚か持ってきてくれ」
 セルリオスはそう言うと、馬上のパレッティに手を貸す。そして彼女が無事に降りると、ソルティを抱え降ろす。
「セルリオス様、皆様。中へお入り下さいませ」
 メイドがタオルを一同に渡す。できるだけ水分を拭き取ると、ぞろぞろと中へ入っていく。セルリオスは馬の世話係に愛馬を渡すと、従僕を呼ぶ。
「彼を客室に寝かせてやってくれ」
 彼は従僕にソルティを渡す。
「この方は……」
「気にするな。もう済んだことだ」
 その言葉に従僕は一礼し、ソルティを運んでいった。セルリオスは一行を客間へ案内した。
「今、湯を張っている。少し待ってくれ」
 貴族の屋敷はよほど珍しいのか、パレッティとパズズ以外は落ち着かない。そわそわして辺りを見回すシェーンの視界に、一枚の絵画が飛び込んできた。彼女はそれに駆け寄る。
「セルリオス、この人は……?」
 シェーンの目に留まった絵画には、美しい人が描かれていた。その背には、温かな白い翼があった。
「人ではない。そのお方は風王、天に住まう神の一人だ」
 セルリオスはふと笑みを浮かべた。その言葉に、過敏な反応をしたのはシャンレイだった。みるみる彼女の顔は、血の気を失っていく。
「どうした、シャンレイ?」
 セルリオスは訝しげに、様子のおかしい彼女を見た。
「……すまない。 気分が優れない。休む場所を貸してくれないか……?」
 みんなの視線が集まる。シャンレイは表情を隠した。すべてを拒絶する彼女の態度に、誰も理由を問うことができない。
「メイドに案内させよう。浴槽の湯が張れたら呼びに行かせる。先に入るといい」
 セルリオスはテーブルの上のベルの涼しげな音を響かせる。すると、メイドがやってきた。主人の話を聞くと、シャンレイを客間へ連れていく。
「シャンレイ、どうしちゃったのかなぁ?」
 パレッティはシャンレイの出ていった扉を心配そうに見つめる。
「……俺たちじゃあ、 どうしようもねぇだろ。 あいつなら大丈夫だ。 明日までには元に戻ってるだろうよ」
 ミサキは溜息をつき、肩を心持ちあげてみせた。しかし、やはり心配のようで沈黙が広がった。
「ねぇ、セルリオス。神様の絵って、他にもいろいろあるの?」
 沈んだ場を元に戻そうとしたのは、シェーンだった。
「あぁ。二神四王の絵画収集は、私の趣味だ」
 セルリオスの瞳は嬉々としていた。
「本当?あたし、神様のこととか、よく知らないから見てみたいな」
 シェーンはセルリオスに微笑む。彼は軽く頷くと、シャンレイが出ていった方とは逆の扉を開けた。
「こっちだ。パレッティ、ミサキも暇だろう。大したものではないが見るか?」
「うん、見る見る!」
 パレッティはソファーから降りて、セルリオスの方へ駆け寄った。ミサキもここにいるよりはましであろうと思い、ついていくことにした。部屋に入ると、セルリオスは明かりを点けた。すると、そこには数十にもなる絵画が並んでいた。
「うわぁ……。 これ、みんな神様の絵なの?」
 シェーンは、部屋の壁に所狭しと並ぶ絵画の群を見渡した。
「そうだ。――― これを見てくれ」
 セルリオスは、六枚の同じ作風の肖像画を指す。
「左端が光神(こうしん)、次が冥神。それぞれ光と闇を司る、世界に降り立った最初の神だ」
 輝く黄金の髪の、中性的な姿をした光神は静かな眼差しを向けている。対して冥神は、漆黒の髪の下に瞳のないすべてを飲み込むような金色の目。見る者すべてに畏敬の念を抱かせる。その姿に、パズズは思わず隠れてしまう。パズズでさえも、この神を恐れていた。
「その次から地王、風王、水王(すいおう)、炎王(えんおう)。世界を構成する四大元素(エレメンツ)を司る神々だ。地王は混沌を鎮めるために力を使い、[混沌]に蝕まれて視力と声を失ったという。それ故に目を伏せている」
 目を閉じたまま微笑する地王。幼ささえ感じるが、誰にも立ち入らせない雰囲気を持つ風王。女性的でおっとりした笑みを浮かべる水王。不敵な笑みを見せ、一人武装する炎王。セルリオスは六枚の絵を見つめたまま説明をした。
「ねぇ、何で冥神の目はあんな風に不自然なの?」
 シェーンが冥神の肖像の前で首を傾げる。セルリオスはふう、と溜息をついた。
「不明だ。冥神自身も語ろうとしない」
「セルリオスは逢ったことあるの?」
「いや。大抵、降臨祭の頃は忙しいからな。逢ってみたいが、そうも言っていられない」
 セルリオスはシェーンの質問に首を振った。
「パズズは知らないの?」
 パレッティは、肩口に隠れている守護者に尋ねる。彼はビクッと肩を震わせた。
「な、何で僕がっ……。知ってるわけ、ないでしょっ! 僕が逢った時にはもう、そうなってたんだからっ!」
 なあんだ、とパレッティはつまらなそうに呟いた。
「それはともかく、この六神が世界を支える神だ。一般的には[二神四王][六神王]などと呼んでいる」
 セルリオスは話を元に戻し、説明を終わらせた。すると、ミサキが眉を寄せてセルリオスを見る。
「セルリオス、[混沌]って何なんだ?」
「[混沌]とは、妖魔を生み出しているものだ。世界の真下にあると言われている。世界を呑み込み、無に返すのが目的らしい」
 セルリオスはミサキの質問に答えると、一番奥の布の掛けられているものの前へ行った。
「それは何?」
 パレッティが駆け寄る。
「最も貴重な作品だ」
 セルリオスはそっと布を取った。すると、そこに一枚の大きな絵画と五体の彫像が現れた。彫像と言っても、腕の長さの半分ほどしかないものだ。
「凄い、この絵っ。とってもきれいな色遣い……!」
 パレッティは目を輝かせ、その絵画を見つめた。そこには、四王が一つの芽に力を与えている姿が描かれている。
「これは[世界]という題が付いている。四王が力を与え、成長していくその芽が[世界]というわけだ。上の端に描かれている太陽と月が、それぞれ光神と冥神を象徴している」
 セルリオスの説明に、シェーンは興味深そうに頷いた。パレッティはこの絵が気に入ったらしく、飽きもせずに見ている。いや、見ているというよりは観察していると言った方が正しいだろう。唯一、ミサキは絵画よりも彫像に興味を持った。
「なぁ、これも二神四王とかの像なんだろ? 何で五つしかねぇんだ?」
「行方不明なんだ。その像はバラバラに買われたらしいが、風王の像だけ売却先が不明。つまり、探しようがないのだ」
 セルリオスは肩をすくめた。ミサキはふうん、と頷いて金属質の像をじっと見つめる。すると扉がノックされ、メイドが入ってきた。
「お風呂の仕度が整いました。先程の方には先に声を掛けておきましたので、どうぞお入り下さい」
「みんなで入るの?」
 シェーンが不思議そうにセルリオスを見上げた。
「浴室は広い。全員が入っても大丈夫だ。ちょっとした公共浴場並だからな」
 セルリオスが微笑む。すると、パレッティが心配そうに彼の袖を引く。
「伯爵様が風邪引いちゃうよ」
「心配するな。浴室は二つある」
 セルリオスは彼女の頭を撫で、部屋を出ていった。
「どういう屋敷だよ……」
 ミサキが唖然と呟くのを聞いた後、メイドは三人を案内した。

 既にその頃、シャンレイは湯に浸かっていた。彼女は大きく息を吐く。その溜息は深い。
(風王様……。 何故、お見捨てたもうたのだ……)
 湯けむりの下。水面に映る自分の顔が、酷く醜いことは容易に想像できる。彼女は忘れられない過去から、逃れられずにいた。
「シャンレーイ!」
 扉が開き、勢いよく走って浴槽に向かってくる者がいた。
「パレッティ、転ぶぞ」
 シャンレイはぺたぺたと音をさせてくる少女に、心配そうに声をかけた。すると、パレッティは言葉通りに足を滑らせた。
「きゃぁっ!」
 小さな悲鳴が上がる前に、シャンレイはその頼りない手を自分の方へ引き寄せた。勢いで、パレッティはシャンレイに抱きついた。
「危ねぇな。大丈夫か?」
 ミサキとシェーンも入ってくる。シェーンの翼は、何か透明な膜のようなものに包まれていた。
「あぁ。……シェーン、 それは?」
 シャンレイはミサキに頷いてみせると、シェーンの背を指した。
「パレッティに魔法をかけてもらったの。水に濡れないようにって」
 シェーンは面白そうに膜を指先でつつく。シャンレイは納得すると、腕の中のパレッティを見た。
「元気なのはいいが、怪我をするなよ」
「うん。……あれ?」
 パレッティはコクンと頷くと、シャンレイの左胸のあたりに目を留めた。シャンレイはギクリとする。
「どうかしたの?」
 シェーンは怪我でもしたのかと、心配して二人のそばに寄ってきた。
「これって風の紋章、だよね」
 パレッティはシャンレイの肌に刻まれた紋様を指さした。
「セルリオスの腕にあったのみたいだね」
 シェーンもそれを見て呟く。二人がそうこう言っているうちに、シャンレイの顔は青ざめていった。
「……シャンレイ?」
 パレッティはシャンレイの顔を見上げた。しかし、彼女の口からは何も返ってこない。
「どうしちゃったの、シャンレイ?」
 シェーンも、困ったように眉を寄せる。やはり、彼女は黙ったままだ。すると、ミサキが浴槽に浸かって大きく息を吐く。
「喋っちまった方が楽なこともあるぜ」
 シャンレイはその言葉にハッとした。そして、初めて自分を心配する者の顔を見た。仲間たちの表情を窺うことを忘れていた自分に気付く。彼女はぽつり、と話し始めた。
「――― この風の紋章は、 生まれつきだ。私の家は、町のはずれにある風王を祀った小さな社だった」
 シャンレイの表情は先程に比べ、落ち着いていた。
「私が紋章を持って生まれたことで、町は噂になった。『風王の御子が生まれた』とな。しかし、私に近寄る人はいなかった。そんな時、妖魔が私のことを嗅ぎつけて町にやってきた」
 彼女の顔に、影が落ちる。
「町では手当たり次第に、子供が惨殺されていった。……そして、町の人たちは私たちに責任を取らせるため、家ごと焼き払った。……家族は全員焼死。私だけ、風王の加護で生き残ってしまった……」
 顔を手で覆い、シャンレイはうなだれた。
「――― 私の存在が、この紋章が、家族を死に追いやった……。私はこの罪を抱いて、十四年間生きてきた」
 シャンレイはすべてを話し終わると、静かに浴室から出ていった。いつもは頼れるその背中が、ひどく小さく感じられる。
「シャンレイ……」
 パレッティは言葉を失った。今のシャンレイに、どう声をかければその心の闇を取り除けるのか、彼女のはわからない。
「……シャンレイ、私に自分を重ねてたのね……」
 シェーンは、やっと自分に対する彼女の態度の意味を理解した。存在そのものが、孤独になってしまっていたシェーン。もしかすると、自分のような思いをさせたくなかったのかもしれない。
「――― 何で、そんなにこだわってんだよ? お前のせいじゃねぇだろうが。 お前の家族を殺したのは、人の心の弱さだ。何も守れねぇヤツらの心がそうしちまったんだ。悪いのはお前じゃ、ねぇよ」
 ミサキは天井に向かってそう言うと、二人に背を向けてしまった。パレッティは扉の方を見る。紅く染まった彼女の目に、悲しい青い色が真っ白に変わっていくのが映った。



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