partita 〜 世界演舞

第三章 忘却の花咲く庭(5)


 翌朝、一行は次の町に向かった。昨日の騒動など忘れたかのように、再び活気に満ちているこの町を何とか抜ける。
「次の町まで、どれくらい?」
 パレッティはゲオルグを見上げた。町の外は森が広がっていて、先を見通すことは不可能だ。
「そうだな、一日半くらいか。この辺は比較的、町が集中しているはずだ」
 ゲオルグが答えると、少女はパッと表情を明るくした。あまりに素直な反応に、男爵も思わず笑みを零す。
「次の町までは楽に行けそうね」
 シェーンはパレッティに同意を求めるように、首を傾けて顔をのぞき込む。パレッティは微笑んだ。そして、シェーンの胸元に目を奪われた。
「あれ? このネックレス、どうしたの?」
 シェーンの首から、薄い紫の石のついた首飾りが下がっていた。昨日まではなかったように思う。
「昨日、シャンレイが買ってくれたの」
 えへへ、と笑いながら、そのネックレスをすくい上げてみせる。
「いや、私が勝手に贈ったのだ」
 シャンレイが訂正する。すると、パレッティは頬を膨らませた。
「あたしも誘ってくれればいいのに。何か欲しかったなぁ」
 シャンレイは困った顔をして、しばらく考える。そして、腰に下げていた袋から箱を出した。
「パレッティ、これをやろう。行商人に貰った物なんだが」
 シャンレイはその箱を差し出す。小さな箱を受け取ったパレッティは、なんだかわくわくしながら蓋を開ける。中に入っているのは、藍色の石に細工の入った小さな髪飾りだった。
「私はそういう物をしないし、私の髪では映えないだろう。気に入ったなら貰ってくれ」
「シャンレイ、何でこんなに凄い物を貰ったの?」
 パレッティは遠慮がちに訊く。シャンレイの表情は、少し気落ちしたようになった。
「確か、珍しい薬草と引き替えに貰ったと思うのだが……。気に入らなかったか?」
「ううん、そうじゃないの。これ、魔力が付加されてるから、凄く貴重なんだよ。本当に貰っていいの……?」
 パレッティは胸を高鳴らせて、もう一度尋ねる。シャンレイは柔らかな笑みを見せた。
「当然だ。魔法の品ならば尚更だろう。私にはその価値すらわからないのだし」
 パレッティはパッと表情を輝かせ、礼を言う。
「ありがと、シャンレイ!」
「それ、どんな力があるんだ?」
 ソルティがパレッティの手元をのぞく。美しい藍色が神秘的だ。二つで対を成すその髪飾りは、明らかに東方のものだった。
「集中力の向上を促し、精神攪乱や精神操作の魔法を反射する効果があるね」
 パズズが得意気に説明した。シャンレイは唖然としてしまった。本当に、宝の持ち腐れだ。パレッティはすぐにそれをつけてみせる。その時、ソルティが後方に顔を向けた。ハッとして、シャンレイも目だけ向ける。
「……シャンレイ、嫌な感じがすると思わないか」
 ソルティが呟く。
「つけられていたようだな。……害を及ぼすつもりはないようだが、危険な相手であることには違いないだろう」
 シャンレイは視線を外さない。彼女の目に映るのは森の奥。それも少し高いところだ。
「警告しておくか」
 ゲオルグはハンドガンのシリンダーに二発の弾を込めた。そして、シャンレイの視線の先に狙いを定め、目を閉じる。
「何をするの……?」
 シェーンは、シャンレイの後ろへ下がりながら質問する。少し声が震えていた。
「当てやしない。掠めるだけだ。安心しな」
 ゲオルグは狙いを定める。彼には目標を視認する事はできない。シャンレイの視線を頼りに、長年の感覚を駆使する。
「――― 見えない相手をどうやって威嚇するんだよ」
 ソルティが冷めた声で言う。彼の男爵に対する態度は、出会ったあの時から変わっていない。反発するようにそう言う。
「……少し黙ってろ。気が散る」
 銀髪の人狼にそう言うと、ゲオルグは素早く引き金を引く。銃声が響き、鳥たちがバサバサと飛び立つ。
「……行ったか?」
 眉を寄せる。気配はなくなった。おそらく尾行していた者は、その場を去ったであろう。ソルティは呆然とゲオルグを見上げる。
「今の、何だったんだ……?」
「二発、間を置かずに撃ったのだろう。一発目が二発目に当たり、加速。さらに、木々を縫うように目標へ向かった。目標は、紙一重でかわしたと思う。一応、退いたようだ」
 シャンレイは冷静に自分の意見を述べる。それに対し、ゲオルグは口笛を吹いた。
「よくそこまでわかったな。銃術ってのは、弾一発に一つの力しか付加できない。さっきのは、一発目が風だ。俺が思ったように、方向修正できるってわけだ。二発目は光。加速の力だ。後の弾が速いから、前の弾に当たる。それで、効果が前の弾にくっつくってわけだ」
 それを聞いて、皆は口をあんぐりと開けたままになった。
「それって、前に撃ったのを確実に撃たなきゃいけないって事でしょ?」
 パレッティが興奮したように、頬を紅潮させている。
「あぁ。でも、まぁ……馴れってヤツだな」
 ゲオルグはしれっとして答える。ミサキもぼけっとして、彼を見つめたまま呟いた。
「あんた、凄ぇ人だったんだな」
 どうやらこの大男は、誉められることに慣れていないらしい。前方を向くと、突然歩き始めた。赤くなった顔を逸らして、目だけこちらに向ける。
「おら、日が暮れちまう前に野宿できそうな所まで歩くぞっ」
 シェーンとパレッティはその態度にクスッと笑い合い、大きな背中を追いかけた。


* * *


 次の町に着いたのは、西の空に茜色が滲み始めた頃だった。陽が沈みかけているにも関わらず、この町もにわかに活気づいている。収穫祭が近いせいだろう。町中に地王を讃える、小枝をあしらったリースが掛けられている。一行は宿を決めて荷物を置くと、パレッティの要望で町の様子を見て回ることになった。
「ミサキ! あっちあっち!おいしそうだよ!」
 パレッティははしゃいで、人混みを縫うように走っていく。手を引かれているミサキは、やや困った顔をしている。
「おい、パレッティ。みんなとはぐれちまうぞっ」
 彼女が声を掛けると同時に、少女は唐突に立ち止まった。ミサキは、勢い余ってぶつかりそうになるのを何とか堪えた。
「何も、そんな急に立ち止まらねぇでもよ……」
 パレッティを見下ろすと、彼女はしぃっと人差し指を立てる。ミサキが首を傾げると、パレッティは「美味しそうなもの」とは別の方へ走り出した。
「パレッティ?」
 後ろからついてきたシャンレイが問いかける。パレッティは一直線に目的のものへと走っていく。すると、美しいリュートの音色が聞こえてきた。澄んだ幻想的な旋律に、足を止めて拝聴する者が幾重にも輪を作っていた。一生懸命に背伸びしたり、ジャンプしたりするパレッティを、ミサキが抱え上げて肩の上に座らせた。演奏者は、ソルティと同じ位の年頃の青年だった。少し伸びた金色の髪が風に吹かれ、音楽にあわせるかのように揺れている。何故か、そこだけが神秘的な空間と化していた。曲が終わると彼は一礼した。どっと拍手が湧き、銀貨や銅貨が投げられる。すると、彼はその場を離れようとした。人々が散り散りになっていく。ミサキの肩から降ろされたパレッティは、残念そうに肩を落とす。
「もうちょっと、早く来れば良かったな……」
 その呟きに、シェーンがいち早く反応した。彼女は青年の方へ歩いていった。そして、一枚の銀貨を彼に手渡す。
「お兄さん! 一曲弾いてくれませんか?」
「え、あ、はい。構いませんが。……何を弾きましょうか?」
 リュート弾きは戸惑って、どもってしまっている。
「じゃあ、[陽の落ちる時、闇は夜空を舞う]はどうですか?」
 シェーンの提案に、彼はニコリと微笑みを浮かべた。
「わかりました。それじゃあ、いきます」
 リュートが静かな音を奏でる。それに呼応するかのように、シェーンの手が動き始める。流れる旋律。しなやかに舞う腕。それは闇。夜の訪れそのものだった。穏やかな曲調に、まるですべてを呑み込んでしまいそうな舞踏を踊るシェーン。その場所だけが隔離された空間なのでは、と錯覚を起こす。消えゆくような曲の終わり。シェーンの腕が静かに落ちる。一同は瞬きを忘れるほどに見入っていた。
「――― 凄いよ、シェーン! それにお兄さんも!」
 興奮醒めやらぬパレッティは、目を輝かせて拍手を贈る。シェーンは照れくさそうに笑うと、演奏をしてくれた青年に手を差し出した。
「ありがとう。凄く踊りやすかったよ。あたしはシェーン。お兄さんは?」
「エルディスです。驚きましたよ。シェーンはとても素敵な舞をするんですね」
 青年はその手を取り、握手を交わした。すっかり和んでいる二人に、パレッティは一つの提案をした。
「ねぇ、これからみんなで食事をしない?」
「エルディス。みんな、あたしの仲間なの。一緒にどう?」
 シェーンは首を傾げ、彼の顔をのぞき込む。エルディスは笑顔を見せた。
「えぇ。ご一緒させていただきます。大勢で食事することも、なかなかないですからね」
 一行は宿に戻ることになった。その下の階にある酒場で、晩餐が始まった。自己紹介を交え、話は次第に盛り上がってきた。
「それにしてもさぁ。エルディスの演奏、凄いよねぇ。宮廷楽師よりも上手だよ。何処で習ったの?」
 何気ないパレッティの質問ではあった。しかし、エルディスは少しばかり困ったような顔をして微笑む。
「わからないんですよ」
 あっさりとした返答に、パレッティはきょとんとした。
「憶えてないの?」
「いえ、『憶えていない』のではなく、何処で誰が教えてくれたのか『わからない』んです」
 パレッティにはどう違うのか、よくわからなかった。すると、その横に座っていたシャンレイが、真剣な目をエルディスに向ける。
「――― 記憶を喪失したということか?」
「えぇ。先日、頭を打ってさっぱりと記憶を失いました。自分の名前はかろうじて覚えていたんですが、あとはどうも……」
 彼は頷いて、肩をすくめる。シェーンはあまりにあっさりと言われてしまったので、大きな瞳を何度も瞬かせた。皆がそれぞれ絶句しているのに、パレッティだけが違う反応を示した。
「かっこいい! 記憶喪失って、どんな感じなの?」
 目を輝かせて好奇心の向くまま、エルディスに質問をぶつける。その言葉にソルティは額に手をやって天を仰ぎ、シャンレイは眉間を押さえてうつむいた。
「そうですねぇ。ただ頭の中がすっきりしていて、どうしたのかなと思いました。でも、焦ったり、悲観的になったりとか、そういうことはなかったですね」
 エルディスの方も、気に留めていないかのように微笑む。シャンレイは苦笑して、エルディスに言う。
「すまない。パレッティは、良くも悪くも無垢なのだ」
「いえ。本当に気にしていませんから、いいんですよ。それに、頭を打ったくらいで忘れると言うことは、忘れたかったのかもしれませんし」
 彼は苦笑を返す。その言葉には、裏の意味があるように思えた。シャンレイは立ち上がり、エルディスに一言残す。
「思い出さなければと、気負いすぎぬよう気をつけることを勧める」
 彼女はそのままカウンターの方へ行ってしまった。エルディスは真剣な顔になる。
「どうしたんだ?」
 変化に気付いたミサキが、目を向ける。
「シャンレイ、苦労していらっしゃるように見えたので」
 エルディスはそっと苦笑を見せた。かけられた言葉が、まるで自らに向けた言葉のように思える。それに対し、ミサキは肩をすくめる。
「あぁ、そうだな。シャンレイは過去に縛られてるとこ、あるからな」
 もっと気楽に生きりゃいいのによ、と呟きながらグラスの酒を飲み干した。エルディスは相づちを打つと、不意にパレッティの頭の上にいるパズズと目が合った。パズズはハッとして隠れた。意外な行動をとられて彼は驚いた。その時、彼の頭の中に電流が走った。
(――― 疾く来たれ。そして我を解放せよ……)
「!?」
 エルディスは、自分の中にいるどす黒いものの存在に気付いた。蠢くそれは、身震いするほどに邪悪であった。エルディスは、動悸が激しくなっていくのを感じる。
「……エルディス?」
 異変に気付いたソルティが訝しげな表情を向ける。エルディスはその声に反応しない。その時、外から悲鳴が上がった。ソルティは舌打ちした。
「こんな時に……! シェーン、パレッティ、エルディスを見ていてくれ。何かあったら俺たちに知らせるんだ!」
 ソルティは飛び出していく。それにミサキとゲオルグが続く。シャンレイの姿は既にない。真っ先に飛び出していったようだ。
 外へ出ると、馬に乗った男たちが二人の子供をさらって行くところだった。母親らしき女性が張り倒されている。男たちはこちらに気付いたようだ。一人の男が、凄まじい形相でこちらを見る。
「お前らだな。[ミサキ]とかいう奴がいるだろう!」
 ミサキはその声に、片眉を跳ね上げた。
「俺に何か用かよ、てめぇら」
「フン! [地走り]をこけにしたツケは高いぜ!この先の砦へ来い! ガキは人質だ。二日以内に来なかったら殺す!」
 そう叫ぶと、男は何人かと共に走り去る。シャンレイがすかさず走り込む。しかし、残った者たちが壁を作る。シャンレイはそれを飛び越えようとするが、見えない壁が彼女を阻んだ。シャンレイはそのまま弾き返される。
「シャンレイ!」
 ミサキが着地地点に走り込んだ。シャンレイは体勢を立て直すと、ミサキの前に舞い降りる。そして勢い余った形で、後ろのミサキに寄りかかった。
「すまない、早まった」
 シャンレイはミサキに礼を言うと、再び向かっていく。
「お、おい!」
 ミサキが止めるまもなく、シャンレイは走り込んで跳び上がる。
「二度も同じ事を!」
 せせら笑う男を尻目に、彼女は気合いを入れた。
「まさか、撃ち破る気か!?あれは魔術の壁だぞ!」
 ゲオルグが驚いて声をあげる。
「勢っ!!」
 シャンレイは渾身の力を込め、蹴りを繰り出す。彼女の蹴りと、魔法の壁が衝突する。シャンレイは、すかさず気合いを放つ。
「破ぁぁぁぁぁぁっ!!」
 激風が巻き起こり、魔法の壁が割れるように消滅する。
「す、凄ぇ……!」
 ソルティは目を見張った。しかし、既に男は見えなくなっていた。シャンレイは舌打ちすると、すぐさま攻撃を開始する。
「……これはまた、大勢ですね」
 皆の背後から声が響く。
「エ、エルディス!」
 ミサキが驚いて目をまるくする。シェーンやパレッティも一緒だ。
「だ、大丈夫なのか? エルディスは」
 ソルティが尋ねると、二人はわからないと言うように首を傾げる。エルディスは、突然リュートを奏で始めた。そして、太古の言葉で歌い出す。
「! ……呪歌[誘眠]!」
 パズズは咄嗟に耳を塞いで言う。皆がハッとして耳を塞ごうとする。それをシェーンが制した。
「待って。この歌、[地走り]にしか効いてないみたい」
 シェーンの言葉通り、バタバタと男たちが倒れていく。しかし一行はもちろん、一般人すら誰も眠っていない。
「目標指定できる呪歌だと……? なんちゅう奴だ」
 ゲオルグは呆気にとられて、次々に倒れていく男たちを見ていた。数人がその状況にあたふたしている。残った者たちに、シャンレイとミサキ、そしてソルティが向かっていく。そして、エルディスは歌をとめ、リュートをその場に置いた。
「ここにいて下さい」
 そう言うと、彼はその場からフッと消えた。何が起きたかわからない一同は、目をまるくした。
「き、消えやがった……」
 ゲオルグは冷や汗をたらしながら、エルディスのいたはずの場所を見つめた。しかし、パズズにはわかっていた。彼が何をしたのか、そして何処へ向かったのか。ただ、高慢な使者様らしくもなく、畏怖の感情が表面に出ている。
「うぐっ」
 突然、男たちの一人から呻き声が上がった。ハッとして目を向けると、彼はエルディスにウィップで首を絞められていた。エルディスは目を細めた。
「大人しくしていて下さいね」
 エルディスは右手を自由にすると、男の前にかざした。その手が、漆黒の闇を纏う。男の顔は恐怖に歪む。闇は男の顔を呑み込む。エルディスが手を離すと、男はガクンと膝をついた。彼は気絶していた。その間に、シャンレイたちが残りをすべて気絶させた。エルディスは、冷ややかに目の前の男を見下ろした。
「……エ、エルディス。……今のは、何?」
 シェーンが恐る恐る訊いた。エルディスはハッとして、皆を振り返る。
「……私にも、わかりません。私は一体何を……」
「何か、エルディス、違う人みたいだったよ」
 パレッティは遠慮するように、もごもごと言う。シャンレイは動き回っていたので、彼の行動に気を留めていなかったようだ。
「何かあったのか?」
「うん。目が、ね……。何だか怖かったの……」
 パレッティは上目遣いに、エルディスを見上げる。もう元に戻っているようで、安心したのか溜息をもらす。
「おい、こいつら縛っとくぞ」
 ゲオルグの呼びかけに、シャンレイは頼む、とだけ返事を返した。ミサキとソルティが男爵を手伝う。
「エルディス、何をしたのかは憶えてるの?」
 シェーンは、風でふわりと舞う髪の向こうにある横顔をのぞき込んだ。
「それは憶えています。でも、どうしてあんな事ができたのか、よくわかりません。それにあんな技を使えるなんて、今の今まで知りませんでしたよ」
 困ったように肩をすくめたエルディスは、置き去りにした相棒を拾い上げて背負う。
「わからないなら、教えてやろう」
 何処からか、声が降ってきた。シャンレイとエルディスは、同時に道のわきに植えられている高い木の枝を見た。そこには黒い影があった。影はふわりと舞うと、軽々と着地する。常人がやれば、確実に骨を折る高さだ。
「……一度は撤退したと思ったが、まだつけていたのか」
 シャンレイの目が鋭くなった。
「ふっ、成程。思った通り、ただ者ではないな」
 現れた男は、淡泊で冷ややかなマスクにかけられた眼鏡の位置を直す。背中まで伸びた漆黒の髪が、この非凡そうな男に誰にも干渉させないイメージを植えつけている。
「奴らを手引きしたのは、お前か?」
 シャンレイは警戒して、一歩退いた。
「それは後だ。お前が使ったのは、失われたはずの[幻術]。闇を媒体として、幻を創り出す秘術だ」
 眼鏡の奥の赤い瞳が鈍く光る。エルディスはすっと目を細めた。
「自己紹介がまだでしたね。私はエルディス。あなたの名前を教えて下さい」
 男の眉がぴくんと跳ねる。彼は答えない。シャンレイの目が厳しさを増す。パレッティとシェーンは、エルディスと男の間で精神戦が行われていることに気付いた。パズズは我関せず、とパレッティの背後に潜んで沈黙している。
「――― 名前を、お忘れになったのですか?」
 エルディスの一言で、男はふと笑みを零した。参った、と言うような表情に驚いたのはシャンレイ一人であった。
「私よりも魔力の強い者に初めて出逢った。私はアマネだ。秘術士、ということにしておいてくれ」
 男、アマネは肩をすくめてみせた。その態度に、エルディスは表情を和らげた。
「さっきの答えを聞いていないぞ」
 シャンレイは納得がいかないようだ。
「やれやれ、敵わないな。その通りだ、お嬢さん。私があいつらを連れてきた。だが、誤解するな。私はお嬢さん方の行き先を教えるのが仕事だった。もう契約は済んでいる。今は手を切っているぞ」
 アマネは肩をすくめて、困ったような顔をする。シャンレイの警戒はあまり解けていないようだ。目を外そうとしない。緊迫した雰囲気ができ続いている。
「お取り込み中で悪いんだがなぁ、シャンレイ」
 そんなやり取りをしていると、ゲオルグが割り込んできた。
「もっと建設的な話をしないか? 有効期限は二日だろうが」
 その言葉で我に返ったシャンレイは、難しい顔をして考え込みはじめた。
「ゲオルグ、[地走り]の砦とやらの場所は知っているか?」
「……すまんが、詳しくは知らん」
 ゲオルグは腰のポーチから、おもむろにマッチと葉巻を取り出す。
「砦なら見かけましたよ。東の方でしたから、方向的にはあっていると思います」
 エルディスが呟くと、アマネが頷く。
「あぁ、その通りだ。奴らの砦は、東にあるものだ」
「……知っているのか?」
 シャンレイが、低い声で尋ねた。アマネは鼻先で笑うと、鋭い視線を彼女に向けた。
「当然だろう。雇われていたんだからな。案内するということで、尾行の件はチャラにしないか?」
 シャンレイには、考える余裕もなかった。時間がないのだ。
「わかった。その条件、飲むことにしよう。よろしく頼む」
 アマネは軽く頷くと、考え込んだ。
「……待て。二日と言ったか?」
 真剣な目をシャンレイに向ける。
「あぁ。そう言っていた」
「……まずいな。砦まで、この子たちも連れていくのか?」
「彼女たちも仲間だ。それに、貴重な戦力でもある」
 シャンレイは怪訝な目をアマネに向ける。
「最短ルートを通っても、三日はかかるな。私の足でも、ぎりぎりといったところだ。どうする?」
 アマネが顔を上げる。シャンレイの頭に浮かんだのは、一つの方法だけだった。
「……馬か」
 しかし、資金がない。馬を数頭借りるにしても、相当の金額が必要のはずだ。
「馬のことなら、俺に任せろ。一応、雇用主だ。馬代くらいは持つ。それに、この町にはいい馬を貸してくれるところがある。五、六頭くらいなら何とかなるだろう。ま、大船に乗ったつもりでいろや」
 ゲオルグは、ニヤッと笑みを見せた。シャンレイはその言葉に頷くと、エルディスの方を見た。
「すまない。手を貸してくれないか?」
「もとより、そのつもりです。出逢ったのも、何かの縁ですからね」
 エルディスはニコリと笑うと、彼女の肩を軽く叩いた。その手は、とても心強い。シャンレイの肩の荷は、少し軽くなったようだ。
「ありがとう。明朝、出発する。異論はないか?」
 シャンレイは皆を見渡した。……誰も反論はないようだ。
「決まったな。じゃあ、俺は馬を手配しに行くが……」
 ゲオルグはそう言いかけて、ふとミサキたちの足元を見る。
「詰め所なら、向こうにありますよ」
 エルディスは道の先を指す。
「奇しくも、方向は一緒だな」
 ゲオルグは、冗談のように舌打ちした。シャンレイは、ふと表情を緩める。
「エルディス、アマネ。パレッティとシェーンを頼む」
 そう言うと、彼女はミサキとソルティを促す。そして何本かの縄を取り、数人の男を抱え上げる。二人もそれに倣い、縄をつかんだ。
「たいしたモンだな」
 ゲオルグは唖然として呟き、三人を手伝って[地走り]の連中を引きずっていった。



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