partita 〜 世界演舞

第四章 深き谷に架かる橋(3)


 神殿跡のすぐ近くには村があった。そこへ一行が辿り着いたのは、あれから一日半経ってからだった。宿を取ると、久しぶりの布団に寝そべり、夕飯までの時間を疲労回復に費やした。
 夕食の時間に一行は宿の一階にある酒場へ降りていった。客は二人三人と言ったところだ。ゲオルグも言っていたとおり、この地は非常に辺鄙な場所なのだ。カウンターのそばのテーブルを陣取り、注文をする。食事が運ばれてくると、そこは戦場と化した。
「……ミサキ、それにソルティ。もう少しゆっくり食べろ。腹が減っているのはわかるが、体に毒だ。ちゃんと味わって食べろ」
 半ば呆れたように、シャンレイは忠告した。一瞬手を止めたミサキは、口をもごもごと動かしながら生返事をするが、またすごいスピードで食べはじめる。一方ソルティは、ハッとして顔を上げた。目の前のメルシアーナと目が合う。彼女は呆然と彼が食べるのを見ていたが、その視線に気がついて笑顔を作る。すると、ソルティの顔は一気に赤くなった。
「ちょっとミサキ、そんなにお酒飲んじゃだめだよっ」
 不安そうな表情のシェーンがおたおたする。ミサキの手はそんなことでは止まりそうもない。シャンレイは大きく溜息をついて立ち上がろうとするが、それをソルティが制した。
「俺が行ってくる」
 ソルティは彼女のしようとしたことを察知していた。カウンターに行き、マスターに声をかける。
「マスター、水を一杯ください。それと、レモネードを一つ」
 マスターは注文されたものをすぐに用意する。ソルティは礼を言うと、暇そうにグラスを磨くマスターに話を振った。
「すぐそばの神殿遺跡って、妖魔がいたりするんですか?」
「あぁ、かなり強い妖魔が住み着いているっていう話だ。もっとも村には降りてこないがな。昔は学者がよく来たが、今はさっぱりだ。君らはあそこへ行くのか?」
 マスターはタオルで手を拭きながら言った。
「えぇ、石碑に興味があるんですよ」
「あの、誰も解読できない石碑か。最近、物好きが増えたな。昨日もあそこへ一人で行った人がいたよ。学者ではなさそうだったけど」
 マスターは呟いて、あさっての方角を見た。ソルティは水とレモネードを手に、テーブルに戻ろうとする。
「あの、神殿跡に向かわれるんですか?」
 背を向けた方から、声がかかる。くるりと振り向くと、間近に眼鏡をかけた女性がいた。
「うわっ!」
 驚いて、身をのけぞる。女性はいかにも学者という出で立ちをしていた。気を取り直して、さっきの言葉に答える。
「そ、そうですけど……」
「あぁ! それは私のだよ! パズズ!!」
 背後から、いつも通りの乱闘が始まった合図が聞こえてきた。ソルティは複雑な表情になる。
「うるさいなぁ。そんなの早いもの勝ちだよ。肉一切れで大きな声出さないでよ」
 うざったい。そう顔に書いて、パズズは肉に噛みつく。彼はその身体からは想像できないほどの量を食べる上、グルメだった。
「パレッティ、私はもう満足していますので、こちらを食べてくださいません?」
 黒髪の美しい巫女は優しい微笑みを浮かべ、自分の皿を差し出した。
「わぁ、ありがとう、メルシアーナ」
 パレッティの顔がパッと明るくなる。ソルティは振り返らずに、眉間にしわを寄せた。
(ったく、こいつらは……!)
 口元を引きつらせながら、そんなことを思う。
「あ、あのう……?」
 ハッと我に返る。先程の女性はまだ目の前にいる。
「あ、と……。すいません、それで何か?」
 何とか話を元に戻す。
「あの、私も連れていってもらえないかと思いまして。私は遺跡や洞窟を研究している学者でして、調査も兼ねてここへ来たわけなんですが、完全方向感覚というものを持っていますので、お役に立てると思うんです。それに魔法の心得もあるので、決して足手まといには……」
「ストップ」
 商人が品物を売り込むかのようにアピールを続ける彼女を、ソルティは両手をかざして制止させる。
「俺の一存じゃ決められないんで、皆に言ってもらえます?」
 ソルティは背後のテーブルに目を向ける。そこへ歩いていくと、ミサキの前に水を置き、シャンレイに声をかける。
「シャンレイ、この学者さん、遺跡に行きたいんだそうだ。どうする?」
 シャンレイはガラス一枚越しの、彼女の黒い瞳を凝視する。
「あ、あの、ウェナーといいます。遺跡研究なんかをやっているんですが、あの神殿にも興味がありまして。完全方向感覚があるんで、迷うことはないと思いますし、魔法も使えるんでお荷物にはならないようにします。それから、その……」
 彼女、ウェナーはしどろもどろになりながら、自己PRを続ける。シャンレイは目を伏せ、笑みを見せた。
「何か理由があるのだろう。皆、ウェナーを仲間に迎えることに異議は……?」
「――― ないよ」
 皆を見回して、シェーンが答えた。
「だそうだ。よろしく、ウェナー。私はシャンレイだ」
 シャンレイは肩をすくめると、皆を紹介した。一通り終わったところで、ウェナーは空いている席に座る。
「なんらぁ? 新入りらなぁ? しっかりやれろぉ」
 隣にいたミサキが、学者の肩をバシバシ叩く。その顔は既に真っ赤だった。
「飲み過ぎだよ、ミサキ」
 パレッティは困った顔で、容赦なく飲み続ける酒好きを窘めた。当事者は何の根拠もなく、大丈夫だと繰り返している。
「いいんですか?」
 ウェナーは心配そうにパレッティに訊く。
「こうなったらもうだめなんだよ。二日酔いになっても知らないんだから」
 少女は溜息をついて、肩を落とす。ミサキは自分の分だけでなく、シャンレイの分まで飲んでしまっている。その量は酒飲みならけろりと飲めるかもしれないが、ミサキはそんなに酒に強いわけではない。
「とりあえず、水を飲めよ」
 ソルティは頬杖をついたまま、機嫌の悪そうな声で言う。そして、自分の持ってきたレモネードを口に運んだ。一向に水に手をつけようとしないミサキを見かね、シャンレイが重い腰を上げた。
「明日の朝、食事を済ませ次第出発する。用意をしておいてくれ」
 そう告げると、ミサキを無理矢理かついで部屋に戻った。片手にはちゃんと水を持っていった。
「……ミサキ、疲れてるのかな」
 シェーンは酔っぱらいの背中を見送りながら呟いた。ミサキの飲み方は、どこかやけ酒に近い気がする。
「何にしても、身体には良くないですよ」
 メルシアーナも顔を少し歪める。
「下手したらあいつ、明日は使いものにならないぞ」
 ソルティはどっと疲れが出たのか、テーブルに顔を埋めた。そう、明日は妖魔の蔓延る神殿遺跡に行かねばならないのだ。皆の顔は、明日への不安でブルーになっていた。



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