partita 〜 世界演舞

第四章 深き谷に架かる橋(4)


 翌朝、皆の予想は的中した。
「ったく、しょうがない奴だな」
 ソルティは頭をぐしゃぐしゃと掻き乱す。目の前には、真っ青な顔をした酒好きがいる。陽差しはそんな彼らを嘲笑うかのように、眩しく降り注いでいる。寒さは相変わらずだが、鮮やかに色付いた木々が美しい。何枚かの葉は冬の到来を前に、風に吹かれて飛んでいってしまった。最高にいい景色だ。しかし、彼らの心はどんよりとしていた。準備万端、とは言えない旅になりそうだ。
「……すまねぇ」
 今回ばかりは、ミサキも相当反省していた。すると、メルシアーナが彼女の額に手をかざした。
『癒しの光、穏やかなる魂の力よ……』
 淡い光がミサキを照らす。すると、ミサキは驚いてメルシアーナを見た。
「……あ、あれ……?」
 ガンガンと頭を打つ痛みが消えていく。吐き気もおさまってしまった。
「毒素を抜いておきました。でも、完全ではありませんから、また体調が悪くなるかもしれません。それだけは覚悟しておいて下さいね」
 メルシアーナは慈悲深い笑みを見せ、ミサキに言う。ミサキもはにかんだように、照れ笑いを浮かべた。
「お、おう……。ありがとよ」
「――― これで準備はいいかな」
 シェーンは無邪気に笑ってみせた。シャンレイも苦笑する。
「そうだな。ミサキは後方だな。無理はするなよ」
「おう」
 ミサキは深く頷いた。そして、一行は神殿遺跡へと向かった。歩いて三時間ほど。本当にすぐそばにあった。ウェナーによると、完全に廃墟になってしまっているその場所には、地図は存在しないらしい。
「でも、石碑を建てたのが冥神だとしたら、何らかの力が働いているはずですよね。なら、その波動を辿ればあるいは……」
「――― 適役がいるな」
 ウェナーの意見に、ソルティがぼそりと零す。言うまでもない。ただ一人、冥神の使者がここにいる。
「……パズズ、何か感じないか?」
 シャンレイの問いに、パズズは答えない。乗り気ではないようで、そっぽを向いてしまった。しかし、その瞬間にメルシアーナと初めて目が合った。琥珀色の瞳は微笑みをたたえているが、その奥にはパズズだけが感じ取る微かな存在を感じた。彼は思わず身震いして、その視線から逃れようとした。
「パズズ……?」
 頭の上では見えないが、その微妙な感情の揺らぎに、パレッティは気付いた。
「――― し、下だよ。どこからか地下へ入らないと、それ以上はわからないよっ」
 飽くまで強がっている使者様の心境は、シャンレイたちには気付かれてはいないようだった。
「……地下、か」
 シャンレイは足元に目を落とした。そこには柱の残骸やかつては壁であっただろう石が、所狭しと広がっている。
「かなりの労力がいるかもな」
 ソルティは苦々しく呟いた。気は引けるが、虱潰しをするしかないようだ。そう思って溜息をついた時、その場にウェナーがしゃがみ込んだ。
「学者たちがここへ頻繁に来ていたのは、そう遠い昔のことではないんです。地図を作らなかった理由は、そんなに入り組んでいないからだと思うんですが」
 そう言うと、地面の砂をササッと手で払いのける。その下から、黒っぽい石畳が出てきた。それはどうやら正面に続いているようだ。
「行き先はわかりましたね」
 メルシアーナは正面を見据える。きっとこちらがかつては神殿だったのだろう。
「――― ソルティ、妖魔の気配は感じるか……?」
 シャンレイは神妙な顔で振り返る。しかし、ソルティは肩をすくめる。
「この辺一体、妖魔の気配だらけだ。特定はできないな」
 シャンレイの顔は厳しくなる。彼女も妖魔の気配を感じていた。彼と同じく、その場所までは割り出せなかった。不気味な気配が漂うかの場所を、どう切り抜けようか。彼女の頭はそれで一杯だった。
「――― 隊列を組み直そう。前方は私とソルティ、後ろはミサキ。四人はその間に。万全の陣とは言えないが、これで行こう」
 シャンレイは周囲を警戒しながら皆に告げる。しかし、列を作る前に、敵は現れた。ミサキの倍近くありそうな体躯。異形の顔の妖魔。
「で、でけぇ……」
 ミサキは思わず口にした。こんなに大きい妖魔は見たことがない。
「下級悪魔(レッサー・デーモン)だよ」
 パレッティの声は、微妙にうわずっていた。突然現れたレッサー・デーモンは二体。身を隠していたとは思えない。おそらく、何らかの魔法で移動してきたのだろう。ジリジリと近寄ってくる。
「……通常の攻撃は、効きませんよ」
 ウェナーの忠告に、ソルティは手をかけた剣を鞘から抜くのを躊躇った。
「ソルティ、ミサキ、それにシャンレイ。武器を抜いて下さい」
 メルシアーナは静かに告げる。その瞳が時間がないと言っていた。ソルティはグレートソードを、ミサキは刀を、シャンレイはトンファを抜いた。
『すべてを照らし出す輝き。其は大いなる神秘の衣。我が名は曇りなき陽光。汝が力、我らに与えよ……』
 聖女の錫杖に、目映いばかりの光が集まってくる。
『[見えざる光の洗礼(セローク・ティ・オ・ウィール)]』
 光が拡散する。そして、その輝きは三つの武器に吸収されてしまった。
「魔力を付与しました。これで、物理攻撃も可能なはずです」
 聖女の言葉に、三人は深く頷く。こちらの様子を窺っている妖魔は、近寄るのを躊躇しているようであった。
「ソルティ、ミサキ、二人は右の方を頼む」
 シャンレイはそう告げると、一気に駆け出した。左側のレッサー・デーモンは向かってきた獲物に対し、拳を打ち出す。シャンレイはそれを紙一重で避けると、跳躍して顔面にトンファを叩きつける。よろめく妖魔だったが、さして大きなダメージにはなっていない。いつもならここで蹴りが入るところだが、彼女の蹴りでは何の効果もない。[風使い]は後のことを考えて温存しておきたい。すると、妖魔の拳が再び襲ってきた。
「―――!!」
 瞬時に対応できず、思い切り吹っ飛ばされる。背中が柱の残骸に激突した。しかし、シャンレイはすぐに立ち上がり、再び交戦状態に入る。
「――― シェーン、貴方のつけているペンダント。それは魔力増強の力がありますね」
 戦線の後方、メルシアーナがふいに呟いた。シェーンは驚いて目をまるくした。
「えっ!? これって、そういうものだったの!? シャンレイが買ってくれたものだから、知らなかった」
 メルシアーナは言葉を失った。何も知らずに、このペンダントの力を使っていたのだろうか……。とりあえず、これをシャンレイが贈ったということは、何らかの意味があるに違いない。勝手に解釈する。
「シェーン、私の後について呪文を詠唱して下さい」
 少女が頷くのを確認すると、その目を敵の方に向ける。
『彼方を吹きすさぶ、荒ぶる大気。天より舞い降りし裁きの雷霆……』
 二人が詠唱を始めた頃、ソルティとミサキはもう一体のレッサー・デーモンに苦戦していた。ミサキの刀は、刃先をつかまれてしまっている。ミサキ自身も体調が完全ではないため、思うように力が奮えない。ソルティは妖魔の攻撃を防ぎながら、タイミングを見計らっていた。妖魔の拳が振り上げられた時、ソルティは素早く足を踏み出した。そして、その胴体を一閃する。妖魔は大きな悲鳴をあげた。力が緩み、ミサキの刀がするりと抜けた。
「ソルティ、ミサキ、下がってください!」
 メルシアーナの声が飛ぶ。二人は、反射的に後方へ下がる。
『[輝嵐斬(スライ・シャト・ウォーア)]!』
 光の刃が妖魔に向かう。直撃すると、光が散乱する。レッサー・デーモンは衝撃のあまり、後方に倒れ込む。すかさず、ソルティがそこへ飛び乗り、その首を落とした。
「……あと一体」
 呼吸を整え、シャンレイの方に目を向けた。彼女はいつもと勝手の違う戦闘に、どうやら苦戦しているようだった。妖魔の一撃がシャンレイの体力を削り取っていく。
『開け、暗く深き門。冥神が力を鍵と成せ』
 パレッティの召喚の儀式が始まった。妖魔は食らいついてきたシャンレイを思い切りはねのける。妖魔は彼女には目をくれず、パレッティたちの方に向かい、闇で作り上げた矢のようなものを投げつけてきた。その瞬間、ウェナーは素早く印を結んだ。
『[壁(ダグ)]!』
 彼女の言葉が発せられると、闇の矢は何か障壁にぶつかったかのように霧散した。メルシアーナは学者を振り返った。見たことのない術。知識としては知っている。秘術の一つ。印を結ぶことで場の力を作り出す術、[場術]だ。
「ウェナー、あなた……」
「――― 対魔力結界を作りました。妖魔の魔法はここには届きません」
 手は印を結んだまま、学者は告げる。その時、パレッティの術が完成した。
『我が名は闇にて和を成す者! パズズの力を借り受け、我が声に応えよ! 汝、炎王が使者、第三級高位体焔の魔人(イフリート)!』
 魔法陣の中から、その魔人は現れた。炎の身体を宙に浮かせ、主の指示を待っている。
「イフリート、レッサー・デーモンを攻撃する皆の補助をして!」
『――― 御意』
 イフリートはすっと移動し、倒れているシャンレイの横に立つ。
「人の子よ。奴の目を狙え。汝が手加減しても、今は勝てぬ。本当の力を、我に見せよ」
 イフリートは彼女にそう助言した。シャンレイは驚いていたが、その言葉に頷く。どうやら、それは正しいようだ。
「了解した。……助言、感謝する」
 シャンレイは勢いよく立ち上がると、精神を統一した。風が彼女に向かって流れてくる。
「――― 風よ、我が手に力を……」
 シャンレイは呟くと、一気に妖魔との間を詰めた。尋常ではない早さに、妖魔は対応できない。
「破ぁぁぁっ!!」
 シャンレイのトンファが、その両目を捕らえる。妖魔に暴れる間も与えず、[風使い]を発動させる。二段蹴りがかまいたちを発生させ、スパンと両腕を切り落とした。妖魔は絶叫し、後ろへ転がり込む。そこには、いつの間にかイフリートがいた。
『……生まれし場所へ還れ』
 イフリートは妖魔をつかむと、発火させる。数秒の間に妖魔は灰となり、風に流れていってしまった。
「……人の子よ。汝の力は救済に相応しき力となるだろう……」
 イフリートはそう言い残し、パレッティの下に戻った。その姿は、空中に存在したままの魔法陣の中に消える。
「……ご苦労様」
 パレッティは微笑んだ。途中で折れてしまっている柱に背を預け、シャンレイは呼吸を整える。それほどではないが、力の消耗で疲労感が押し寄せていた。それは皆も同様だった。しかし、この場でじっとしているのは危険だ。また妖魔が現れるかもしれない。
「……先を急ごう」
 シャンレイは声をかけた。それぞれが頷き、隊列を作る。ウェナーは石畳の先を追い続ける。すると、広い空間に出た。瓦礫が散乱している。その合間から見える石畳は、明らかに先程のものとは違う。そして、その石は一面に敷き詰められていた。
「――― ここからが、神殿の中だったみたいですね」
 ウェナーはその辺をうろうろし始めた。ソルティやメルシアーナも床を観察する。
「――― ウェナー、これは?」
 キョロキョロしていたシェーンが右奥に行き、その床を指す。その場所の石の下から、冷たい空気が流れてきている。ウェナーはその石を触ってみる。そして、シャンレイに目を向けた。
「シャンレイ、この石を動かせませんか?」
 学者の言葉に、シャンレイはその石の隙間に手を差し込む。軽く握って引いてみると、簡単に動いてしまった。
「……開いたが」
 彼女はウェナーに決まりの悪い顔を向ける。しかし学者殿は、そうですかと淡白な応答をするだけだった。石の下には、階段が続いていた。
「……っ……」
 その時、後ろに突っ立ていたミサキが口元を押さえて後ろを向いた。どうやら、さっきの戦闘で吐き気がぶり返してしまったようだ。
「ミサキ、吐いちゃった方がいいよ」
 パレッティは大きな背中をそっとさする。シャンレイは彼女を離れたところに連れていき、胃の中のものを吐かせてしまった。そして、荷物の中から粉末状の薬を出す。
「効果はすぐに出ないだろうが、飲んでおけ。いくらかましになるだろう」
 水筒も出して、ミサキに薬を飲ませる。彼女の気分が少し落ち着いたところで、皆は地下への階段を下りていった。



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