partita 〜 世界演舞

第四章 深き谷に架かる橋(5)


 地下はそんなに複雑な作りではなかった。パレッティは、メルシアーナの錫杖に[光照粉]をかけていた。パズズの誘導もあってスムーズに進んでいるようだったが、一向に石版の下には辿り着かない。
「……パズズ、本当にこっちなの?」
 パレッティが不審な目を向ける。使者様はカッとなって主を睨んだ。
「この僕が言うんだよっ!? 間違ってるわけがないでしょっ!?」
「……そうですね、パズズが言うならそうなんでしょう」
 メルシアーナが微笑する。パズズは思わずこの聖女の視界から逃げるように、先頭にいるシャンレイの目の前に移動した。
「と、とにかく! 僕は間違ったこと、言ってないんだからねっ!」
「……私は何も言っていないが」
 シャンレイは自分に向かって喚きだした使者様の対処に困っているようだ。その時、淀んだ気配を感じた。彼女の足が止まる。
「――― シャンレイ?」
 シェーンが彼女を見上げる。シャンレイは、後方にいるソルティの方を見た。彼は険しい顔をしている。
「……挟まれたな」
 シャンレイも頷いた。前方、後方、それぞれ一体ずつ。しかし、前方のからは、今までにないほどの禍々しいものを感じる。
「気をつけろ。さっきの妖魔とは格が違う」
 シャンレイは皆を少し後ろに下げる。
「―――メ ルシアーナ、さっきの魔法はまだ有効か?」
 ソルティは皆に背を向けた格好で尋ねる。
「えぇ、大丈夫です。……シャンレイ、おそらく敵は漆黒の闇蜥蜴(ゼヴォーグル)。巨大な魔力を持った、限りなく[混沌]に近い妖魔です」
 彼女の言葉に、シャンレイはしっかりと頷く。しかし、勝算はなかった。レッサー・デーモンよりも強力な敵。ソルティは後方を守る。ミサキはせいぜい防御ができるくらいだ。通路は横に三人並べるくらい。下手をすれば、攻撃が後ろの魔術士たちの方に向いてしまう。
「……気を引き締めねばな」
 シャンレイは独特の呼吸法を行った。コォォォッという、低い音が通路に響く。彼女の周りに風が起こる。さわさわと緩やかな流れが、荒れ狂うものとなっていく。
「――― 来るぞ」
 シャンレイは構えを取った。音もなく現れた妖魔は異形の者。蝙蝠の翼を持つ巨大な蜥蜴。その頭には、二本の角も生えている。後方からはレッサー・デーモンが現れた。
「勝てるか……?」
 さすがに焦りを覚える。すると、メルシアーナが目を閉じた。
「時間を稼ぎましょう。『時が満ちれば、風向きは変わる』と光神が告げています」
 シャンレイはごくりと唾を飲み込んだ。
「――― わかった」
 闇の内から現れた闇蜥蜴の姿が鮮明になる。二足歩行するような姿勢だったが、その脚は宙に浮いている。
「集中攻撃だな。ソルティ、後方は頼んだ」
 シャンレイの言葉で、パレッティは召喚の呪文を唱え始めた。メルシアーナはシェーンと魔法を準備し、ウェナーは印を結んだ。シャンレイは勢いよく地を蹴る。現れた異形の者は向かってくる人間をその目で捕らえると、ニヤリと笑った。
『ほう、人間か。しかも上物揃い。食いでがありそうだな!』
 喜々とした目で、ゼヴォーグルは突進してくる。シャンレイはその言葉の意味はわからなかったが、その昂揚している妖魔のオーラからだいたいの想像がついた。
(――― 狩猟ということか?)
 妖魔はその尻尾を振り回す。シャンレイの向かってくるところへと振り下ろす。彼女は咄嗟に飛び上がり、風を右足に集める。
「破ぁぁぁっっ!!」
 風が嵐となり、無数の刃を作り上げる。それは闇蜥蜴の肩口を切り裂く。
『……なかなかやるな。しかし……』
 妖魔はニヤリと笑ったようだった。そして彼女の脚をつかむと、そのまま地面に叩きつける。ガンッ、という強い音と共に、足元を覆っていた石が割れる。シャンレイはそのまま地面に埋もれている。
「シャンレイ!」
 ミサキが叫ぶ。その瞬間にシャンレイが妖魔の手から逃れ、後方に回転して戻ってきた。彼女の傷はかすり傷程度だ。
「風で防御した。心配には及ばない」
 シャンレイは構えを取る。
『我が声に応えよ!汝、光神が使者、第一級高位体エンジェル!』
 パレッティの召喚術により、白い衣を纏った天使が現れた。彼はパレッティの前で片膝をつき、主の命令を待っている。
「エンジェル、ゼヴォーグルに攻撃を!」
『マスターの意のままに……』
 エンジェルはすっと立ち上がると、闇蜥蜴の前に移動した。
『エンジェルか……。まあいい。相手になってやる』
 妖魔は空気を吸い込む。エンジェルは眉をひそめ、構える。神々しいそのオーラが膨れ上がる。ゼヴォーグルは黒いブレスを吐きだした。エンジェルはそれを打ち消すと、手をかざす。
『我が主の御心よ……』
 そこに光が生まれ、矢となって弾け飛ぶ。ゼヴォーグルはそれを避けきれず、後ろ足に突き刺さった。
『!!』
 ゼヴォーグルはそれに耐えると突進し、その角をエンジェルに突き立てる。エンジェルは咄嗟に回避できず、防御態勢を取った。が、それはエンジェルには届かなかった。二体の間にシャンレイが割り込み、その両腕で妖魔の突進を防いだ。
『ちぃ!』
 ゼヴォーグルは舌打ちをした。その時、メルシアーナとシェーンの魔術が完成する。
『[光烈弾(ウィル・ファーワ・フェルヴァ)]!』
 高熱を持った光がゼヴォーグルとレッサー・デーモンを襲う。咄嗟にシャンレイとソルティは身を引いた。命中したものの、どちらにも大ダメージにはなっていない。その隙をついて、レッサー・デーモンはメルシアーナに襲いかかった。
「!」
 ミサキが反応し、妖魔の前に立ちはだかる。しかし、レッサー・デーモンは彼女を軽く払いのけようとする。
「……こんのっ!」
 ミサキは刀で受け止め、その剛剣で腕を切り裂く。ヒュッと刀が血を舞い上げる。妖魔は絶叫した。痛みのあまり暴れ出した妖魔は、ミサキを吹っ飛ばす。その後ろからソルティが背を斬りつけると、妖魔は彼を目標と定めた。振り返って、その腕を振り下ろす。
「―――!」
 思わず防御態勢を取り、乱打を剣で受け止めるしかできなくなってしまう。タイミングを計り、後ろへステップする。間合いを取って体勢を整える。
(……いけるか……?)
 ソルティは剣を下段に構える。躊躇せず、レッサー・デーモンは向かってくる。ソルティも駆け出した。
「調子に乗るなぁぁぁっ!!」
 彼の動きは早かった。妖魔が拳を繰り出してきた瞬間、横へステップを切る。妖魔はそのフェイントについてこれず、前のめりになる。ソルティは背後にまわり、跳躍する。彼の剣は妖魔の首を一閃した。声を上げることも叶わず、レッサー・デーモンは絶命した。
「……!?」
 ソルティは着地すると、足首に痛みを感じた。どうやら無理な体勢を取ったため、脚を捻ったようだ。剣を床に突き立て、シャンレイたちの方を見た。先程の魔法は一瞬の隙を生んだらしく、シャンレイのトンファがゼヴォーグルの脚に突き刺さっていた。しかし、彼女は壁に激突し、荒い呼吸をしている。エンジェルは光を打ち出し、妖魔に着実にダメージを与えている。が、どれも決定的な一撃にはなっていなかった。
「――― っはぁっ!」
 パレッティがガクンと膝を折った。瞬間、エンジェルも消滅してしまった。
「パレッティ!」
 ミサキが駆け寄る。
「魔力の使いすぎだよ。少し放っておいて」
 パズズが歯がゆそうに言う。敵の前に障害がなくなってしまっている。
『[光雷閃(ウォーア・シャルティオ)]!』
 シェーンの魔法が飛びかかる。稲妻がまっすぐに妖魔に向かっていく。しかし、ゼヴォーグルはそれを片手つかむ。すると、稲妻は消え失せてしまった。すかさず闇蜥蜴は炎のブレスを吐いた。
『[執(ユオン)]!』
 ウェナーの術が発動した。ブレスの前に結界が現れ、その力を吸収していく。しかし、吸収しきることはできず、その結界は砕け散った。ブレスがシェーンに届こうかという時、闇の膜が発生した。パズズの対魔防御壁だ。
『……貴様、何者だ?』
 ゼヴォーグルは一瞬身を引いた。パズズは不敵な笑みを浮かべ、妖魔に返答した。
「この僕を知らないなんて、三流の雑魚だね」
『なっ……』
 妖魔はその挑発に見事に乗った。衝動的にパズズに殴りかかろうと足を出した時、シャンレイの遠当てが肩口の傷に命中する。ゼヴォーグルは地にうずくまり、シャンレイのほうを睨んだ。彼女も荒い呼吸を繰り返している。限界に近づきつつあるのは承知していた。仲間の様子を横目で確認する。パレッティは倒れている。ミサキはどうやら、まだ体調が戻らないようだ。ソルティは足取りがおかしい。ウェナーは先程の術で疲弊しきっている。シェーンも呼吸が乱れている。まともに動けるのはメルシアーナ、それにパズズだけだ。
(……このままでは、殺られるか……?)
 シャンレイは身体の痛みを精神統一で打ち消した。すべての神経を額に集中させる。最後の力を振り絞って、立ち上がる。
『……ほう、立ったか。丈夫のようだな。しかし、ここで終わりだ。戯れはここまでにしよう』
 ゼヴォーグルは勝ち誇ったように告げる。そして、特殊な呪文を唱え始める。メルシアーナはこれを待っていた。用意していた呪文を解放する。
『[蒼き輝きの戦慄(ウィレン・グラーデ・ペレッシュ)]!』
 妖魔の頭上から蒼い光の柱が降り立つ。ガンッという強い衝撃が、妖魔を押しつぶそうとした。ゼヴォーグルは絶叫する。光がやんだ瞬間、シャンレイとソルティは妖魔に飛びかかる。ソルティは右腕を切り落とし、シャンレイは腹に突きと蹴りの乱打を繰り出した。闇蜥蜴はその尻尾を振り回し、ソルティを吹っ飛ばす。さらにシャンレイに右腕を振り下ろした。シャンレイは風の力でなんとかかわしたが、風圧が肩をかすめ、血が溢れ出した。
「くっ……」
 シャンレイは後ろへ下がり、間合いを取る。
『貴様! 人間の分際で、我が四肢に……!!』
 ゼヴォーグルはシャンレイに向かって走り出した。
(まずい ―――!!)
 彼女には、それを避けられる力がなくなっていた。覚悟を決め、息を吸い込み、衝撃に耐える体勢を作る。
「――― シャンレイっ! やめてぇぇぇっ!!」
 シェーンの叫び声が聞こえた。しかし、シャンレイにはどうすることもできない。妖魔が迫ってきた。その瞬間、彼女の中に様々なことが横切った。
(……私が倒れたら、皆はどうなる……? 師匠は……?)
 死への不安ではなかった。自分が倒れることで作り出す状況が、彼女の心を襲った。瞬きすらできない。闇蜥蜴はその頭の角で、シャンレイの胸を貫いた。
「いやぁぁぁぁぁっ!! シャンレイ!!」
 シェーンの絶叫があたりの空気を大きく振動させる。シャンレイ咳き込み、口から血を吐き出す。それでも彼女の目は妖魔を捕らえていた。拳には風が巻き起こり、信じられない早さで突きを繰り出す。風の塊が妖魔の四肢を襲う。その威力は半死人のものとは思えなかった。シャンレイは死に物狂いになっている。瞳は正気ではなく、それはミサキのバーサークに似ていた。
「シャンレイ! もうやめろ! やめろって言ってんのが聞こえねぇのかよ! シャンレイ!」
 ミサキが堪らなくなって叫ぶ。重い体をなんとか動かし、彼女に近寄ろうとする。
「――― だめだよ……。ゼヴォーグルは、銀の武器でしか、倒せないよ……」
 意識を取り戻したパレッティが、か細い声で言う。お願い、誰かシャンレイを止めて。――― 彼女が声にならない呟きを洩らすと、パズズがその顔を心配そうにのぞき込んだ。妖魔に死んだ気配はない。シャンレイはいつまでも拳を繰り出し続けている。
「もういい! やめろ! お前が死んじまうっ……!」
 ミサキが悲痛の声を上げる。その腕をつかんで止めようとするが、それでもシャンレイは[風使い]の力を発動させ続ける。
「離れて下さい!!」
 聞き覚えのない男の声が響き、ミサキは咄嗟に身を引いた。ヒュンッと風を切る音が駆け抜ける。鈍い音がして、闇蜥蜴の胴体が真っ二つになった。向こうの壁に、戦斧が突き刺さっている。銀色の、美しい斧だ。妖魔は絶命した。シャンレイはその気配を感じ、ガクリと崩れ落ちた。
「シャンレイ!!」
 シェーンが駆け寄ってくる。ミサキはシャンレイの胸から角を引き抜いた。ガバッと大量の血が溢れ出す。なんとか近寄ってきたソルティが咄嗟に傷口を手で塞いだ。すると、さっきの声の主が小走りにこちらへ向かってきた。怪我人の様子を見ると、顔を歪める。
「完全に急所に入っていますね。応急処置では無理です。誰か、神術の使える方はいませんか?」
 三十代後半くらいのこの男の呼びかけに、メルシアーナが急いで近寄ってきた。
「私が……」
 彼女はすぐに錫杖をかざし、祈りの言葉を呟く。光がシャンレイの傷を癒していくが、その顔色は青ざめたままだ。
「……やはり、心の臓に達してしまったんですかね……」
 男の言葉に、シェーンがきつい視線を向ける。
「そんなこと……! あるわけないじゃない! シャンレイが死んじゃうなんて、そんなこと……!」
 この格闘家の生を信じている少女に、男も返す言葉がなかった。誰も何も言えなかった。薄暗いこの場に、重い沈黙が広がる。
(……しかし、この男の言うことは正しい。確実に急所をとらえている。信じたくないけど……、生きていたら奇跡だ……)
 ソルティは徐々に脈拍の上がっていく自分の胸を押さえた。もし、彼女が死んでしまったら……? 彼女抜きで、この先も旅を続けていけるのか……?
「そうだよな、シェーン。こいつがそんな簡単に死んじまうわけがねぇんだよ。シャンレイは世界最強の格闘家だぜ? 大丈夫に決まってるじゃねぇか」
 ミサキがニヤリと笑う。しかし、その言葉は自分に言い聞かせるかのようであった。しかし、どんな言葉を聞かされても、ソルティの頭から「死」というものは消えなかった。
「――― 大丈夫ですよ、ソルティ。心配しなくても、シャンレイは死にません。彼女には、大いなる加護がついていますから」
 不意にメルシアーナが声をかけてきた。シャンレイの横に座る彼女には、隠していたはずの表情が見えていたようだ。ソルティはあからさまに動揺した。しかし、何の根拠があってそう明言できるのか。それは皆、理解することはできなかった。それでも、今はそう信じるしかない。
「――― ……っが、……って……」
 シャンレイの口から、声が漏れる。右の手を空に向かって伸ばす。
「シャンレイっ!」
 シェーンは反射的にその手をつかむ。シャンレイはうっすらと目を開けた。少し首を傾け、少女の方を見る。すると、なぜかホッとしたように表情がゆるんだ。
「……風王……」
(えっ……?)
 シェーンは聞き間違えたかと思って、彼女の顔を見つめ返した。しかし、答えは返ってこない。シャンレイはすうっと目を閉じた。
「……シャンレイ……?」
 その瞬間、不思議なことが起こった。シャンレイを中心として、強い風が生じる。吹き荒れる風に、手を取っていたシェーンだけでなく、側にいた全員が吹き飛ばされた。
「……な、何だ?」
 ソルティは立ち上がることも忘れ、シャンレイの方に目を向ける。彼女を取りまく風は荒々しかったが、優しく温かなものだった。
――― ……風の力を継ぐ者よ。汝にこの災いを退ける力、見つけたり……。
 声が降る。皆はハッとして辺りを見回すが、声の主は見当たらない。しかし、メルシアーナは見ていた。シャンレイを包み込む風の中。彼女を抱くように佇む、その美しい姿を。
「……シェーン、手伝って下さい。シャンレイに活力を与えます」
「えっ……、ど、どうすればいいの?」
 突然指名され、シェーンが驚きながらメルシアーナに尋ねる。
「あなたの信じるものに祈りなさい。祈りは彼方から奇跡を招き、彼女を呼び戻します」
 聖女はその場に立て膝を突き、目を伏せる。天を仰ぎ、祈りを捧げる。シェーンもそれに倣って、目をギュッと閉じた。
(信じるものって……?)
 シェーンにはわからない。自分が信じるべきものが何なのか。そんなことは考えたことがない。
(……シャンレイを、助けてくれる人……)
 少女の脳裏を、一枚の絵画が横切った。純白の大きな翼。透き通るような蒼い瞳。毅然とした表情。――― セルリオスの屋敷で見た風王であった。彼女は手を組み、必死になって祈った。
(――― 風王様、お願い……! シャンレイを、シャンレイを助けて……!)
 その祈りは、少女の周りに温かな風を呼んだ。あぁ、このひとだ。シェーンは不意に思った。母性を感じさせる、その温もり。彼女を包み込むような風は、心に描いていた「母親」そのものであった。本当は、いつも見守っていてくれたのだ……。



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