partita 〜 世界演舞

第四章 深き谷に架かる橋(7)


 目が覚めると、皆すやすやと眠っているようだった。見張りはミサキだろうか。首が緩やかに船を漕いでいる。シャンレイは自分の胸に手を当てた。包帯が巻かれている。相当の重症だったはずだが、その傷は完全に癒されていた。
(……メルシアーナに、負担をかけてしまっただろうか)
 ちらりと壁にもたれて眠る聖女を見た。安心しきった表情ではあったが、深くは眠っていないことに気付いた。シャンレイは彼女に近づき、その額に触る。風がふわりと舞い、メルシアーナはシャンレイのいる右側に倒れてきた。彼女はそれを支え、ゆっくりと横に寝かす。自分のマントをメルシアーナにかける。
 気分は良かった。地下ではあったが、そこにひんやりとした冷たさはない。むしろ、芯に染みわたるような温かさがあった。冥神の力だろうか。そんなことを考えながら、大きく伸びをする。節々が小気味のいい音を立てる。――― 私は、生きている。シャンレイは深くその事実を実感した。
(……眠っている間にあのお方の、風王の姿を見た……。また、私の命を救って下さったのか……?)
 空よりも透き通った、蒼い瞳。優しげに細められるその目は、何処か孤独を感じさせた。いつでも、あのお方は淋しげな表情をしている……。
「……うん? ――― ……シャ、シャンレイ?」
 どうやら、居眠りをしていたミサキが目を覚ましたようだ。勢いづいて立ち上がる。
「居眠りをしていては、見張りは務まらないぞ、ミサキ」
 軽く笑うシャンレイは、さっきまで生死の狭間を彷徨っていたようには思えなかった。ミサキは心配になって、彼女の側に行く。
「おいっ、もう少し休んでろよっ。さっきまで死に損ないだったんだからなっ、お前はっ!」
 あたふたする大女に、シャンレイは笑ったまま言葉を返す。
「心配かけたな。……でも、まったく支障はない。むしろ、体が軽くなったような気がする。……私は『死にたくない』と思っていた。ようやくわかった。私は死を望んでいないことに、やっと気がついた」
 ミサキはポカンと口を開け、一瞬絶句した。すぐにハッとして、シャンレイの頭を小突く。
「馬鹿だな、何言ってんだよ。死にたいって、一度でも思ったのかよ? そんなの、気が弱くなってただけだ。気の迷いってやつに決まってんだろ」
 ふざけたように言うミサキだったが、その表情は真剣だった。本気で、心配している。シャンレイは目を伏せ、しっかりと頷いた。
「……あぁ、そうだ。そう思うことで、自分の弱さを正当化したかっただけだ。二度とそんな風には思わない」
 そんな二人の会話で、皆が目を覚ましてしまった。ある者は大あくび。ある者は伸びをする。そしてまた、ある者は突然身を起こす。
「あ……、起こしちまったか……?」
 ミサキは口を押さえて、起きてしまった仲間に目を向けた。シャンレイはニコリと笑った。――― そんな中でも、メルシアーナだけは目を覚ましていなかった。
「……よかった。メルシアーナは起きてねぇな」
 ミサキはホッと胸を撫で下ろす。
「彼女には気を与えたから、そうそう起きないだろう」
 シャンレイは腕をぐりぐりと回し、簡単な体操を始めた。
「気……?」
 ミサキはおうむ返しに尋ねる。
「あまり深く眠っていなかったようだったから、眠りを安定させた」
 体中の筋を伸ばす。眠っていたせいなのか、彼女の身体は鈍っていた。どうも本調子に戻らないので、念入りに準備運動をする。
「……シャンレイ、あんまり激しく動くなよ。一応、ついさっきまで死にかけてたんだから」
 どこか呆れた口調で声をかけたのはソルティだった。あれだけ心配していた時のことを思うと、なんだか気が抜けてしまう。そんなソルティの言葉に、シャンレイは苦笑する。
「ソルティもミサキと同じ事を言うんだな。大丈夫だ。むしろいつもより調子がいいくらいだ」
 彼女の表情は、今までに見たことがないほど晴れやかだった。ソルティも一つ溜息をついて、鼻で笑った。
「まったく……、心配して損した気分だ」
 憎まれ口を叩く。シャンレイはそれに笑顔で返すと、見たことのない一人の男に気がついた。
「……あなたは……?」
 自分と同じくらいの身長の、中年の男。彼の顔には、お人好しであると書いてある。彼はシャンレイに目を向けると、愛想笑いを返した。
「この人はバルド。さっきのゼヴォーグルを倒してくれた人なんだよ。一緒に旅をすることになったの」
 シェーンがハキハキと説明する。シャンレイは改めて彼を見ると、頭を下げた。
「世話になってしまったようだな。ありがとう。これから、よろしく頼む」
「あ、はい。こちらこそ」
 バルドもつられるように頭を下げる。その光景はどことなく不自然でぎこちないものだった。思わず吹き出したのは、ミサキだった。つられるように笑いが広がる。皆がクスクスと笑っていると、どうやらメルシアーナが目を覚ましてしまったようだった。うっすらと目を開け、ゆっくりと体を起こす。
「――― あ。起こしちゃった?」
 パレッティは口に手を当て、メルシアーナの方を見た。彼女は現状を理解してから、元気な姿のシャンレイを見た。
「どうやら、ぐっすり眠っていたみたいですね。ありがとうございます、シャンレイ。あなたのおかげなのでしょう?」
 ふと果実がこぼれ落ちるような微笑みを見せる。
「……いや、私が何も顧みず、あなたに迷惑をかけた。私にできることは、それくらいしかないからな」
 シャンレイのこんな笑顔は、今まで誰も見たことがなかった。何もかもから解き放たれ、彼女は風のような自由を手に入れたのだ。
「へっ、やりゃあできるんじゃねぇかよ」
 ミサキは鼻の先で笑う。何となく、正直に良い顔になったとは言えなかった。それが当たり前すぎて、むしろ照れくさく思えてしまう。
「……よかった。心の底から笑えるんだね、シャンレイも」
 シェーンは頼りになるその腕にしっかりとしがみついた。シャンレイは少女の頭を易しく撫でる。その手のぬくもりも、その撫で方も、以前とは変わっていなかった。そう、シャンレイの心には、前からこの笑顔のような優しさは存在していたのだ。シェーンには、それが嬉しくてたまらなかった。
「んじゃ、行くか。メルシアーナも起きたことだし」
 ソルティは自分の荷物をまとめる。メルシアーナはその言葉に微笑むと、すぐに荷物を整理する。シャンレイがすかさず、それを手伝った。
「……ありがとうございます、シャンレイ。あなたに、風の大いなる幸運が舞い降りますように ―――」
 メルシアーナは目を閉じると、彼女に対して祈りを捧げた。シャンレイも軽く頭を下げた。
「ようし、出発だなっ。バルド、案内頼むぜ!」
 ミサキが声をあげる。皆の顔に明るい表情が戻っていた。バルドは頷くと、まっすぐ先へ伸びていく道に向かう。メルシアーナはすぐに呪文を唱えた。
『[光照粉]』
 彼女のしていたブレスレットが輝きはじめる。そして、もう一つの術を詠唱し始める。
『彼方を流れし微弱なる大気。其は空を漂いし翼。我が名は曇りなき陽光。汝が力、ここに示せ』
 風が生じ、聖女のもとに集まってくる。
『[翔風衣(シェルド・ウィル)]』
 ブレスレットが中に浮き上がり、前方へと向かっていく。一行の行く先は、非常に明るくなっていた。
「この先は闇の領域です。視界が悪くなる前に対処しておきましたので、安心して進んで下さい」
 メルシアーナは笑顔を向ける。シャンレイはしっかりと頷くと、バルドと顔を見合わせた。
「――― 行こう」
 一行は照らし出された道を進んでいった。



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