partita 〜 世界演舞

第五章 楔の抜き取られた門(3)


 村へ戻ると、パレッティは部屋に引きこもって解読を始めた。もちろんパズズもそれに付き合っている。解読が終了するまでは、ここに滞在することになった。……とはいえ、彼らにそんなにたくさんの路銀があるわけではない。そこで、村の手伝いをすることで経費を少なくした。ミサキとバルドは畑仕事の手伝い。シャンレイとウェナーは山菜や薬草の採取。ソルティは宿の雑用。メルシアーナとシェーンは村の小さな神殿へ行き、集会の手伝いをした。
「かーっ! 収穫の時期ってのは忙しいもんだな! 畑仕事って、案外面白れぇじゃねぇの!」
 ミサキは籠を地面に置いて伸びをした。太陽が照りつけていたが、空気は少しひんやりとしていた。時折強く吹く風が、山の方から冬を呼んでいるようでさえあった。滞在し始めて二日目になる。
「農作業っていうものは、生きているということを実感させられますね。身体は疲れますが、確かに充実してますよ」
 バルドもニコニコと微笑みながら肩をトントンと叩く。収穫した野菜は農家の母屋に運ばれ、そこに皆が買いに来るというシステムのようだ。午前中に収穫を始め、それが午後には母屋に並ぶ。夕方になると、それは完全になくなってしまう。
「生活を支えている人たちなんだな、農家っていうのはさ」
 ミサキは心底楽しそうだった。刀を振るうこと以外の喜びを、こんなところで見いだしたようだ。
「似合っているぞ、ミサキ」
 声がかかる。そちらを見ると、シャンレイとウェナーがいた。背中には籠のようなものを背負っている。
「おう、シャンレイたちはこれからか?」
 ミサキは満面の笑みを浮かべて尋ねた。
「冗談言わないで下さいよ、ミサキ。私たちは早朝から山に行っているんですよ。もう仕事は終わりましたよ。シャンレイがとても野草に詳しいものですから」
 ウェナーは相変わらずの表情で答える。すると、シャンレイは大真面目に首を振った。
「ウェナーがよく見ているから、すぐに採取できたのだ。私の力だけではない」
 どうやら、野草採取のコンビは最適だったらしい。ミサキはそんな二人のやり取りが可笑しくて、声を絞り出すかのように笑った。
「……くくくっ……。何だ。お前ら、結構気が合ってるんじゃねぇの?」
 ミサキの笑い出した理由がわからない二人は顔を見合わせた。すると、遠くの方からミサキを呼ぶ声が届いた。
「ミサキさーん! ちょっ、ちょっと手伝って下さいよー!」
 バルドが何かに苦戦しているようだ。ミサキは新しい玩具を手にした子供のように笑った。
「おう! 今行く!」
 じゃあな、と二人に挨拶すると、ミサキは彼の方に走っていった。
「……畑仕事も楽しそうですね」
 ウェナーが呟いた。シャンレイはその言葉にきょとんとした。
「ウェナー、畑仕事がしたかったのか?」
「いえ、やめておきます。腕力にはまったく自信がないですから」
 淡々とした口調で返され、シャンレイは少し戸惑った。そこへ、遠くから呼ぶ声が聞こえてきた。
「――― おーい! 山菜は集まったか!?」
 駆け寄ってくる影が一つ。視認したシャンレイは、思わず絶句してしまった。中途半端に長い髪を結い上げて三角巾をした頭。真っ白なエプロンをして駆け寄ってくる様。どこかの若妻を連想しそうな格好をしているのは、ソルティだったのだ。
「……ソルティ……、何か間違っているぞ」
 シャンレイは思わず呟いた。ウェナーもあんぐりと口を開けたまま、何度も頷いた。
「――― ど、どうしたんだよ、二人とも」
 やってきたソルティは二人の顔を見て訝しそうに眉を寄せる。シャンレイは諦めたように笑って肩を叩いた。
「よくその格好で外に出てきたな。その勇気は讃えよう。しかし、……恥ずかしくはないのか……?」
 彼女の言葉で、ソルティはハッとした。そういえば、宿の手伝いで掃除と洗濯をして……。そのまま二人を見つけて駆けつけてきた。
「! しまった、そのまんまだった!」
「……もう遅いですよ」
 ウェナーはショックを受けている彼にとどめを刺すかのように、畑の向こうを指さした。そこには、腹を抱えて笑い転げているミサキがいた。その笑い声はここまで届いてくる。
「……う、うるさいっ! 好きでこんな格好をしているわけじゃないんだ!」
 耳まで赤くなりながら、ミサキの方に向かって怒鳴り返す。シャンレイはそんな彼を宥め、宿に戻る。当分からかわれるのだろうな、と考えながら。
「……そういえば、さっきメルシアーナたちを見かけましたが、彼女は偽名を使っているみたいでしたね」
 ウェナーはシャンレイを見上げた。山から帰ってくる途中に、神殿の横を通った。そんなに気にしていなかったが、メルシアーナは別の名で呼ばれていたようだった。
「それはおそらく、本名を出して騒ぎ出されてしまうことを心配してのことだろう。有名人だからな」
 シャンレイは苦笑した。ウェナーははぁ、と納得したように軽く頷いた。
「それは一理ありますね。それとこの草なんですが、この前言っていた毒草に似ていませんか? 匂いと色。それに形も」
 ウェナーは籠の中に入っていた草を一つ取り出す。ギザギザの葉は濃い緑色をしている。するとシャンレイはその葉の茎に近い部分を指した。
「ここが少し白っぽくなっているだろう? 確かに毒草に似ているのだが、ここが白いものは鎮痛効果を持っているのだ」
 はぁ、そんなんですか。ウェナーは感心してしげしげと葉を観察した。
「あとで粉末状にしよう。そうすれば携帯できるし、効きやすくなる」
 それから、二人は他愛もないことを話しながら宿に戻った。そこには落ち込んでいるソルティがいた。ミサキに怒鳴りつけたあと、一目散に宿に戻っていたのだ。彼は重い空気を背負って、そこにうなだれて座っていた。
「……はぁ。ミサキだけには見られないようにしてたのに……」
「……相当ショックだったんですね」
 ウェナーは少し呆れたように呟いた。ソルティは深く、深く溜息をついて頭をかきむしる。
「過ぎたことを悔やんでも仕方あるまい。開き直った方が良いぞ」
 シャンレイは彼の肩を叩く。すると、ソルティは彼女を見上げて苦笑した。
「それ、シャンレイに言われたらおしまいだな」
「――― ソルティ。その格好、よく似合っているぞ。怖いくらいだな」
 シャンレイは爽やかすぎる笑顔で言葉を返す。少し棘があった。ソルティは意外そうに彼女を見上げた。ウェナーが彼女の言葉を継ぐ。
「そうですね。私やシャンレイでは敵いそうにありませんね」
 至極真面目な表情のまま、そんなことを呟く。ソルティは唖然として、二人を見比べた。二人は不敵な笑みを残して、奥へ行ってしまった。
(……何か、すごく怖いものを見たな……)
 ソルティは背筋が凍るような感覚に襲われ、自分の仕事に戻った。――― そんな生活が、一週間ばかり続いた。
 その朝は早かった。皆は、少女の天にも届きそうな一声によって起こされた。……一部、例外の者もいるが。
「――― パズズーっ! すごいよ! できたできた!」
 無論、パレッティの声であった。すぐさま起きたのは、シャンレイとシェーン、メルシアーナ、ウェナーの四人だった。ミサキは相変わらず大いびきで眠っており、ソルティとバルドも疲れているようで、ぴくりとも動かない。そしてパズズは、居眠りをしていたところに耳をつんざくような声がして、思わず飛び起きた。
「なっ……、なんだよ! 大声出さないでよ! まだ明け方なんだから!」
 思わず抗議する彼にパレッティは呆れ顔になる。
「パズズの声だって充分大きいよ……」
 シャンレイとメルシアーナは静かに身を起こした。そして、状況を把握する。シェーンは寝ぼけ眼を擦りながら、布団の中をもぞもぞと動く。ウェナーは枕元に手を伸ばして眼鏡をかけた。どうやら、パレッティの解読が終わったようだ。しかし、彼女の目の下には大きな隈ができていた。徹夜で作業し続けていたらしい。
「……パレッティ、解読が終わったのか?」
 シャンレイはそっと彼女に近づいて手元にある羊皮紙を見た。しかし、そこに書かれていたのはシャンレイには読めない言語だった。疑問符を浮かべてパレッティの顔を見ると、少女は得意そうに笑ってみせる。
「へへ。じゃあ、読んであげるね」
 パレッティはその言葉の訳を読みあげる。
「時は来たれり。汝、金の瞳の我が最高位の使いよ。その強大な力と、心に住まいし混沌たる意志を封ぜんがため、我、汝の器を封印す。汝の真なる姿現す鍵、彼の場所にあり。清純なる水王の湖(うみ)、ほとりに小さき祠あり。その先に、汝のすべてを記す碑あり」
「清純なる水王の湖……?」
 シャンレイはその言葉に首を傾げる。パレッティにも、その言葉の意味はわからないようだった。
「うん……。水王の加護を受けているっていえば、西方北部の神秘の国、クリストリコだと思うんだけど。でも、あそこに湖なんてあったかなぁ……」
「――― それはクリストリコのことではないと思いますよ」
 悩んでいる二人に声をかけたのは、ウェナーだった。彼女は自分の持っている地図を広げた。かなり使い込んであり、端々に書き込みがしてある。それは、すべて遺跡や洞窟に関するものであった。
「ここが現在の位置です。ここから北東に行って、聖域のそばまで出ます」
 ウェナーは指先でその道を辿る。
「――― 聖域?」
 シャンレイには馴染みのない言葉だった。すると、メルシアーナがニコリと微笑んだ。
「神々にもっとも近い場所です。正確には[聖浄(せいじょう)の森]と呼ばれていて、人の亜種、エルフが住んでいるといわれています。ですが、人間はここに立ち入ることはできません」
「巨大な結界が張られているんだって。森へ入ろうとすると、森の向こう側に出ちゃうんだよ」
 付け足したのはパレッティだ。シャンレイはその説明に成程、と頷いた。ウェナーが話を続ける。
「ちょうど、このあたりです。水王が降臨した際、沐浴を行う水をここから持ってくるという習わしがあります。おそらく、『清純なる水王の湖』とはここのことだと思います」
「ウェナー、物知りね」
 シェーンが感心してウェナーを見ると、彼女は眼鏡の位置をただして呟く。
「――― 祠があるといっていましたから。その祠の下には洞窟があると聞いています。それで気がついただけですよ」
 彼女なりの照れ隠しのようだ。シャンレイはふと笑みを零した。
「幸いなことに天気がいい。秋も終盤にさしかかっているわりには、気温もそんなに低くない。最高のコンディションだな、仕事をするには」
 その言葉にえっ、と思わず彼女を見たのはパレッティだった。皆を見ると、シェーンもメルシアーナも笑っている。ウェナーもコクリと頷く。
「……どうして? だって、場所がわかってるんだよ? 天気がいいうちに行った方がいいんじゃないの?」
 パレッティは疑問符で頭をいっぱいにして、シャンレイに尋ねた。
「パレッティ、お前はずっとたいした睡眠を取っていない。この先の旅は、体力が必要になる。だから、今日はゆっくり眠っておくんだ」
 シャンレイはふわふわしているパレッティの髪を撫でた。母の手と同じ温もりを感じる。
「それに、突然になくなるんじゃ、村のみんなにも迷惑がかかるしね」
 シェーンは窓の外を見た。今日もメルシアーナと、神殿で神術の勉強をして子供たちにお話をするという約束をしていた。晴れ渡る蒼穹の下、子供たちは身を躍らせるように神殿に来るだろう。あの純粋な子供たちと今日は旅芸人一座の話をすると指切りしていた。あんなに楽しみにしていた子供たちの笑顔を曇らせたくない。
「……ミサキとバルドは思いのほか働きがいいみたいで、村の農家の方々に頼りにされているみたいでした」
 ウェナーももう少しここにいるのも悪くないと思っていた。シャンレイと山に入れば、植物についての幾ばくかの知識を得ることもできる。
「わかった。じゃあ、今日は寝るね。出発は明日なんだよね」
 パレッティはしっかり頷いた。
「あぁ、明日には発つ。しっかり体力を回復しておいてくれ」
 シャンレイの言葉に笑顔を返すと、パレッティは大人しく布団に潜り込んだ。
「一眠りしたら、朝御飯、食べるね」
 おやすみなさい。……パレッティは行儀よくそう言うと、目を閉じた。そして、いくらもしないうちに眠りについた。疲れていることは確かだったようだ。
「さて、ミサキたちも起こすか。パズズ、お前も今日は眠っていろ。パレッティに付き合っていたのだろう」
 途中で居眠りしていたかもしれないがな、と心の中で付け足しておく。パズズはその言葉に、フンと鼻で笑う。
「僕は大丈夫だけど、シャンレイがそこまで言うなら寝ててあげるよ。ただし、安眠の妨げはしないでよね」
 そう言うと、パレッティの枕の側に転がる。目を閉じた瞬間、彼は深い眠りについてしまった。
「相変わらず、素直じゃないね。パズズって、なんであんなに意地張ってるんだろう?」
 シェーンが苦笑して呟く。
「――― 子供だからですよ」
 メルシアーナはそう言うと、ミサキたちを優しく起こした。いつもは寝起きの最悪なミサキは、何故だかすんなりと起きた。いつまでも布団の中にいたがるソルティも、嘘のように上半身を起こして伸びをした。バルドはいつも通り、ぱっちりと目を開いてゆっくりと布団の中から出てきた。
「……メルシアーナの起こし方がいいんですかね」
 ウェナーは興味深そうに、その光景を見つめていた。シャンレイは真剣に頷いて、そうかもしれないと呟いた。
「パレッティの解読が終わりました。今日でこの村の手伝いも最後です。しっかりやりましょうね」
 メルシアーナは微笑んで、あとから起きた三人に告げる。
「そうか。よっしゃっ、気合い入れて仕事すっか!」
 ミサキは妙なハイテンションで立ち上がる。そしてメシ、メシ、と呟きながら下へ降りていった。ソルティは気だるそうに前髪を掻き上げると、布団をたたみ始める。バルドも同様に、布団をかたす。残ったメンバーもパレッティを起こさないように布団を片付けると、静かに酒場へ降りていった。
「……今日で終わりかと思うと、なんだか名残惜しくも思えてきますね」
 食事を始めると、バルドがしみじみと呟いた。
「そうだな。居心地のいい場所だから、余計にそう思える」
 シャンレイもそれには同じ意見を持っていた。コップを満たしているミルクを口に含む。
「うん……、でも、また来ればいいよね?これっきりじゃないんだから」
 シェーンが少し淋しげに微笑んだ。
「そうですね。いつかまた、ここへ皆で来ましょう」
 メルシアーナはシェーンの肩を軽く叩くと、優しい笑みを見せた。二人は顔を見合わせて軽く頷く。
「よし、気合い入れて仕事だな! そのためにはたらふくメシを食わねぇとだめだぞ!」
 ミサキはそう言って、三人前に手をつけ始めた。シャンレイはそれを見て、少し肩を落とす。
「……食欲旺盛なのは結構だが、湖のある街へ向かう前に路銀を稼がないとならないな」
 すると、ミサキはきょとんとして彼女を見た。
「俺たちが働いて、ここの宿代はタダにしてもらってるんだろ? なんで路銀がないんだよ?」
 ゲオルグにもらったヤツは? ……ミサキは尋ねる。シャンレイは苦笑してそれに答える。
「宿代はタダにしてもらっている。だが、一人で四、五人分食べるような者の食事代まで無料にしてもらうわけにはいかないだろう。一人につき一人前分以上は全部支払っている」
 それにパレッティの分は差し引いてもらっているが、パズズの分はそうもいかない。ミサキは計算を始めた。ここに滞在して一週間。一日三食。その毎回にミサキが食べる量は人の五倍くらいだ。それに、ソルティやバルドのおかわり分とパズズの食事分が加わる。……一体いくらくらいになるのだろうか。
「……相当な出費だったってことか……?」
 ミサキの言葉に、シャンレイは神妙な顔で深く頷いた。もう笑うしかない。ミサキは渇いた笑みを浮かべた。
「……その方向でしたら、四日も歩けば比較的大きな町があります。簡単な仕事くらいならあるんじゃないですか?」
 ウェナーがぽつりと零す。
「それなら、何とかなるかもしれないな。さて、今日も仕事に励みますか」
 ソルティは食べ終わった食器をカウンターの中に持っていって洗い始める。皆も食器を洗い場まで持っていき、それぞれの仕事を始めた。



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