partita 〜 世界演舞

第五章 楔の抜き取られた門(5)


 とうとう、宴の時間になった。皆は着替えて客人の中に紛れ込んだ。鳴り響く音楽。それに合わせてダンスを踊る人たち。その周りでワインや食事を楽しむ人たち。それなりに裕福な人たちが招待されているようだ。誰もが領民のようで、誰もがスパイのようだった。皆困った顔をしながら周りの人たちを観察していた。
「……ねぇ、こうしている方が逆に目立つと思うの。個人行動にしようよ。何かあったら合図すればいいでしょ?」
 退屈でしょうがなくなったのか、パレッティが提案する。確かに突っ立って固まっているのは、必要以上に目立ってしまう。シャンレイはその意見を尊重することにした。
「そうだな、何かあったら誰かに声をかけてくれ。いいな」
 シャンレイはそう言うと、領主の側に行く。特に食事をするわけでもなく、壁の花に徹するようだ。ミサキはまずは取り皿に料理を乗せ、シャンレイの方へ向かう。メルシアーナとウェナーはバルコニーの方へ向かう。ソルティはシェーンに誘われ、ダンスの輪に加わった。パレッティは婦人方の周りをウロウロし、そのドレスを見て回っている。パズズは無論消えたままだ。バルドはそんな少女について周り、保護者のように振る舞っている。
「……これだけ人がいると、怪しい奴なんて目に付かないよな」
 ミサキは呟く。そして皿の上の料理をシャンレイにも勧める。彼女は首を振り、それに手をつけなかった。彼女の身体に通う全神経が、辺りを監視しているようだった。しばらくすると、彼女たちの前に一人の婦人が現れた。
「お暇ですの? でしたら、私と一曲踊っていただけないかしら?」
 シャンレイに声がかかった。彼女は驚いて婦人の顔を見た。優しそうな微笑みをたたえた女性。年の頃はシャンレイよりも六、七歳上だろうか。
「申し訳ありません。私はダンスがまったくできないのです。あなたに恥をかかせるわけにはいきませんので」
 シャンレイは深々と頭を下げ、丁重にお断りする。婦人は仕方なさそうに諦めていってしまった。
「モテるな、シャンレイ。なかなかの美人だったぞ、今の」
 ミサキが茶化す。シャンレイは少し鋭い視線で彼女を見る。
「ちゃんと仕事をしろ」
「へーい」
 ミサキは舌を出して、悪びれた様子もない。そんな時、シェーンとソルティが戻ってきた。
「ただいま、シャンレイ」
 シェーンはニッコリ笑っている。その後ろから疲れた顔のソルティがやってくる。
「……俺、もうダンスはいいわ。周り見てくる」
 ソルティはぐったりして、手を振りながら別の方に行ってしまう。
「……まさか、ずっと踊ってたのか?」
 ミサキは驚いてシェーンに尋ねる。
「もちろん。踊れる時に踊らないとね。あ、シャンレイも踊ろうよ。あたしが教えてあげる。いつか役に立つかもしれないよ」
 シェーンはまだ踊り足りないようだ。有無を言わさず、シャンレイを輪の中に引きずり込んだ。二人はぎこちないダンスを踊っていたが、三、四回踊っているうちに見られるものになってきた。
「そうそう。シャンレイ、飲み込みが良いね。その調子だよ」
 シェーンがニコリと笑った時だった。シャンレイは何かに引かれるように背後を振り返った。
(――― まさか、殺気!?)
 目に留まった男は堂々と立っていたが、チラチラと領主の方を伺っていた。しかも、その右手はマントに隠れたままになっている。
「……シェーン、いたぞ」
 小さい声でシェーンの耳元に囁く。彼女は引き締まった表情になり、しっかりと頷いた。シャンレイは皆を捜す。ソルティはすぐに見つかった。彼はシャンレイの視線に気付き、スパイの存在を見つけたようだった。ミサキはソルティが動き出すと、それに合わせて移動し始める。バルドもシャンレイの向かう先にスパイがいるとわかったようで、パレッティを連れていく。メルシアーナとウェナーはタイミング良く中へ戻ってきた。そしてシャンレイと目が合うと、しっかりと頷いてそちらへ向かう。
「……待て。一人とは限らない。シェーン、領主殿のそばでここから抜けよう」
 曲が終わったところで、二人は輪を抜けた。領主の姿がよく見える位置まで来ると、辺りを見回した。最初に見つけたスパイらしき人物に、ソルティが近づいている。その人物は、辺りを気にしているというより、ある一つの方向をしきりに見ていた。領主ではない。その視線の先にいるのは、先程シャンレイに声をかけてきた婦人だった。彼女は彼と目を合わせると、髪をしきりに触る。そして別の方に目配せをした。
「シェーン、あの茶色い髪の、青いドレスを着た女性だ。何かの合図を送っている。ミサキを連れて、彼女に接触してくれ」
 シャンレイは婦人が目配せをした方から目を外さずに言う。
「うん。シャンレイはどうするの?」
 シェーンはしっかりと頷いて、シャンレイの厳しい横顔を見た。
「……実行しそうな人物を取り押さえる」
 それだけ残し、彼女は姿を消した。――― 正確には気配を断ち、風景に同化してしまったようだ。シェーンはミサキの方へ早足で行く。ミサキはソルティの動きを見て、ジリジリとスパイに近づいていた。
「――― ミサキ、あの人は皆に任せてこっちに来て。あっちの女の人の合図を止めてくれって、シャンレイが」
 シェーンがミサキの腕を取る。ミサキはシェーンの視線の先にいる女性を見て、なにやら訝しげな表情になった。
「あん? ……って、さっきシャンレイを誘ってた女じゃねぇか」
 ミサキはしょうがねぇなぁと呟いて、そちらに向かう。その後にシェーンもついていく。女性はこちらに近づいてくる二人に気付き、ハッとなった。
「先程はどうも。って、覚えていないか」
 ミサキはできるだけ丁寧な口調で声をかける。
「――― いえ、覚えていますわ。ダンスのできない紳士的な騎士様のご友人の方、ですわよね」
 ちょっとした棘があった。シャンレイに断られたのが、少なからず気に入らなかったようだ。そして、彼女はシェーンにもきつい視線をくれる。二人が輪の中にいたのを知っているようだった。
「そんなところかな。お一人でいらしたんですか?」
 ミサキは間をあけないように言葉を切り出す。
「そうね。たまには一人もいいかと思って」
「ご主人はいらっしゃっていないのですか?」
「――― えぇ、今日は」
 ミサキが何とか会話を続けている間、シェーンはソルティたちの方に目をやった。ソルティが声をかけようとしたのをメルシアーナが止めている。彼女が代わりに声をかけ、どうやらバルコニーの方へ連れ出そうという作戦らしい。一方シャンレイは、既に目標のところに辿り着いていた。婦人が合図を送っていたのは、領主の側近の一人のようだ。
(――― 何かを隠し持っている……?)
 シャンレイは彼に近寄る。そして周りに目を配り、ウェイターの持っていたワインに目を留めた。彼女はそこからグラスを二つ取る。
「――― 失礼。ワインはいかがですか?」
 側近に声をかけると、彼は驚いて彼女を見た。
「あ、あぁ、ありがとうございます。……見ない顔ですね。どこの騎士殿です?」
 彼はワインの入ったグラスを受け取る。
「聞いたところでわからないような小国の者です。たまたま領主殿と縁があって、今日は輪に加えさせていただいています」
 軽くグラスを掲げ、シャンレイはワインを口に運ぶ。その時、彼女は見逃さなかった。側近はさりげなくグラスを持っていない左手を後ろにやり、それを気付かせまいと笑顔を見せる。
「そうですか。でしたら、どうぞ楽しんでいって下さい」
「――― えぇ。なにやら、スパイがいるとかという情報もありますから気をつけて下さい」
 シャンレイは神妙な顔をした。そして、片方の手をポケットに入れる。彼は明らかに動揺した。
「ど、どこでそんなことを……?」
 シャンレイは微笑むと、彼の左の手をつかんだ。そして、ポケットから手を出して彼が握っていた物を取り上げる。
「……ほら、こんな物が。領主殿をこの毒で殺してしまうおつもりですか?」
「……ひ、人聞きの悪い。何故これが毒だというのです?」
 側近は引きつった笑みを浮かべた。
「そこまで言われるなら、証明していただきたい。これを飲んでみては下さいませんか?」
 シャンレイは彼の前に紙に包まれたものを出す。先程取り上げた物だ。側近は返答に詰まる。そしてキッと彼女を睨むと、それを口に運んだ。シャンレイはそれを傍観していた。
「……どうやら俺の運もここまでだな。しかし、同志たちが必ず手を下すぞ……」
 勝利を確信した笑みだった。しかし、シャンレイは動じなかった。
「――― そうか、やはりあなたがスパイだったのだな。独白していただけて幸いだ」
 シャンレイは微笑むと、彼の前に一つのものを見せた。――― それは、先程彼が飲み下したはずの紙に包まれた薬であった。スパイは驚いて彼女の顔を見た。
「何故……」
「あなたが飲んだのは、私がたまたま持っていた解熱剤だ。あの紙の折り方は、東方の薬にはありがちなものなので」
 彼女はポケットから同様の薬をいくつか出してみせる。彼は苦々しい顔でシャンレイを睨んだ。
「……それから、あなたの仲間はあと二人ほどですか? 捕まえましたが」
 シャンレイは視線で示す。婦人はミサキとシェーンが捕まえており、男の方はベランダでバルドがOKサインを送っていた。
「――― くそっ」
 スパイは舌打ちしてその場にガクリと膝をつく。そして、彼は床を思い切り叩きつけた。もう打つ手はないようだ。……こうしてシャンレイたちは依頼を成し遂げたのだった。



« back    ⇑ top ⇑    next »