partita 〜 世界演舞

第五章 楔の抜き取られた門(6)


 報酬をもらい、一行は湖のある町へ向かっていた。平原が続くかと思うと、再び森の中へ入っていった。木が密集していて歩きにくい道だった。
「わっ!」
 パレッティが声をあげ、前のめりに倒れ込む。ドン、と痛そうな音がする。木の根に躓いたようだ。
「いったぁい……」
「怪我しませんでしたか?」
 バルドが手を貸し、パレッティは立ち上がる。パレッティは眉を寄せてふくれっ面になる。
「もう、何でこんなに根っこが出てるの?」
「転ぶのはパレッティがドジなだけだよ」
 しれっとしてパズズが言う。彼はパレッティがあまりにもよく転ぶので、シャンレイの肩の上に移動していた。一番安全な場所を確保したというわけだ。
「悪かったわね! パズズは浮いてるだけだから、足で歩く辛さがわからないのよ!」
 パレッティは頬を膨らませて抗議する。
「わかりたくもないね」
 舌を出して少女に返答する。するとシャンレイの指が彼の頭を軽く弾いた。
「喧嘩の火種を作るな」
 彼女は呆れた顔で注意した。それにしても、パレッティはよく転んでいる。森の中に入って、既に五回目だ。他は誰一人転んでいない。
「……やはり、道なき道ですからね」
 ウェナーは腕組みをする。この周辺の地図を思い浮かべる。あの町へ行くのに人が通れるように整備してある道はあっただろうか。
「ウェナー、やっぱりこの道を行かなきゃだめなの?」
 シェーンも少し足が疲れたのか、トントンと叩いて休める。ウェナーはあたりをキョロキョロとした。
「……もう少し行くと、木を伐採して地面をならした道があったと思います。少し遠回りになるかもしれませんが、そこからでも町には着けますよ」
 今まで向かっていた方より、やや北側だ。シャンレイは即決断をした。
「わかった。そちらから行こう。この道では妖魔が出ても、思う存分戦えなさそうだしな」
 誰も反論する者はいなかった。進路を北寄りに変え、一行はさらに進んでいった。小一時間くらいすると、三人は並んで剣を振り回せそうな道に出た。
「道なりに北東に行けば森は越えられます。ただ、二日ほど遠くなりますけど」
「それは仕方ないだろう。パレッティが頭にこぶを作るよりはましだな」
 ウェナーの言葉に対して、ソルティは苦笑しながら言う。するとパレッティはまた頬を膨らませる。
「……ソルティの意地悪」
 じゃれあいながらも先へと進んでいく。あと一日で抜けられるはずだったが、もう一日ここで野宿をしなければならないようだった。
「明日の昼くらいには抜けると思いますよ。それから南南東に二日ですね。もう少し北に行くと違う町がありますけど、どうします?」
 ウェナーは皆に尋ねる。メルシアーナが首を振る。
「まっすぐに目的地に向かった方がいいと思います。道草をしていると、パズズのご機嫌が斜めになりそうですし」
 パズズの方に目をやると、彼は既に就寝時間だったようで寝息を立てている。メルシアーナの意見に反対する者はいなかった。
「ま、食料がねぇわけでもねぇし、それが無難だろ」
 ミサキはそう言うと大きなあくびをした。皆、睡眠を取る体勢のようだ。順番に見張りを立て、一行は休息を取ることになった。
 翌朝、皆食事を終えて出発となった時、ミサキが昨晩と同じように大あくびをした。
「……ミサキ、どうしたの? 寝てないの?」
 シェーンは心配そうに彼女を見上げる。いつもなら、寝起き意外は元気が良すぎるほどなのに、今日は何だか怠そうだ。
「あぁ、何か寝付けなくてさぁ」
 ミサキは再びあくびをする。
「何だ、ミサキもなのか。俺も何だか眠れなかったんだよな」
 ソルティも瞼が重そうだ。すると、メルシアーナの眉がはねた。
「……寝付けなかったんですか? それは、おかしいですね……」
「どうして?」
 パレッティが間を置かずに尋ねた。
「昨晩、深く眠れるように精神安定の微弱な魔術を使ったんです。ですから皆さん、ぐっすり眠れるはずだったんですが」
 その言葉に、シャンレイも訝しげな表情になった。暗雲が心の中に立ちこめてきた。何かが起こる前触れのような、そんな気がした。彼女はメルシアーナと顔を見合わせた。二人とも、感じていることは同じだった。
「――― 来ますね」
「……そうだな。作為的なものを感じる」
 皆は二人を不思議そうに見ていた。どういう意味なのか。そう瞳が語っている。
「……何度か私たちは人間と思わしき者に襲撃を受けている。おそらく、今日中にもう一度来る」
 シャンレイの言葉に、シェーンはハッとした。森の中。なかなか言うことの聞かなくなった足でなんとか歩いていた時。突然襲いかかってきた魔法は、彼女を庇ったソルティに直撃した。――― 鮮やかな、真紅の血液。流れ落ちる銀糸のような髪……。思い出しただけでもゾッとする。
「――― 俺たちをわざと睡眠不足にさせ、戦力を落としたところで攻撃、ということか」
 ソルティは苦々しく呟き、舌打ちする。
「相手は、私たちの行く先を知っているのでしょうか」
 ウェナーが辺りに目を走らせる。……そうかもしれない。始めの罠。精神操作の呪術をあらかじめ仕掛けてあった。呪術は術を発動させるために儀式を行う。その儀式にかかる時間は半日ほどだ。間違いなく相手はこちらの行動を先読みしていた。そして二つ目の罠。あの辺りだけ、異様に気温が低かった。それ自体が何かの術だったとも考えられる。そして、一番弱っていたシェーンを狙った。……これも罠だというならば、敵はこちらの行動を知っている。いや、予見していると言っても過言ではない。
「――― 気味が悪ぃな」
 ミサキが唾を吐く。その時だった。微かな力の動きを感じた。
「―――!? しまった!」
 シャンレイは辺りを見回した。皆の足元に何かの文字が浮き上がる。
「じゅ、呪術!?」
 パレッティはその場から離れようとした。しかし、思うように体が動かない。
「……呪縛の術だね。完全に罠だよ」
 パズズは冷静に呟く。
「来ますよ。おそらく精神系の魔術です」
 メルシアーナはまるで相手が見えているかのように一点だけを見つめていた。シャンレイは目を伏せる。精神を統一し、体に流れる気を一箇所に集中させていた。
「……ソルティ、ミサキ、気をつけろ」
 その言葉に、ミサキはゴクリと喉を鳴らした。ソルティは険しい顔になった。メルシアーナの言葉通りのことが起きた。光の塊のようなものが辺りを包み込む。キィィィィ……ンという高い音が脳の中に侵入していく。精神の中を何かが蠢くような感覚が彼らを襲う。
「――― ……ゥゥゥ……ァァァ……!」
 ミサキの口から、叫びのようなものが零れ出す。ガクンと膝をつく。
「! ミサキ!?」
 シャンレイは彼女の方を振り返る。膝をついた状態で、腕がだらりと垂れている。目は焦点を失っている。
「……めろっ、……入るなぁっ!!」
 ソルティが突然頭を抱える。そして体中を掻きむしろうとする。
「―――! ソ、ソルティ!だめ!だめだよ!」
 シェーンが力を振り絞って叫ぶ。そして、光が消える。シャンレイは魔術を飛ばした者の気配を感じ取った。
「っ、破ぁぁぁっ!!」
 気合いと共に、呪術の束縛を解く。そして、敵を追う。木の枝を飛び、先へ先へ……。シャンレイの力を持ってしても、その差は縮まらない。
(なんという身のこなしだ。人ではない、のか……?)
 そして、敵はフッと陽炎か何かのようにその姿を消した。――― 逃がしたか。シャンレイは険しい顔になる。何が目的で一行を狙うのか。何もわからぬままだ。
(―――! ミサキとソルティは……!?)
 不意に不安感が彼女を襲う。急いで皆の元に戻る。――― 罠は完全に発動していた。
「ミ、ミサキ……!」
 ミサキは炎のようなオーラを発生させていた。完全にバーサークしている。敵はいない。彼女は獣のような声をあげながら、北へ北へと走っていった。
「ミサキ!? どこに行くの!?」
 シェーンとウェナーが彼女を追いかける。パレッティが二人に声をかけようとした時、それを遮るかのように今度はソルティが咆吼をあげた。
「狼化したのか……?」
 シャンレイは驚いて彼を見つめた。手から足から、銀色の体毛が肌を覆っていく。口は裂け、目の色は紅く染まっていく。そして、完全に狼へと変貌した。
「……ソ、ソルティ……」
 バルドは言葉をなくした。狼は低く唸ると、何を思ったのか東の方向に走りだした。
「ソルティ!!」
 バルドが彼を追いかける。完全に二手に分断されてしまった。
「メルシアーナ、いったん分かれよう。私はミサキを追う。あなたはソルティを追ってくれ」
 シャンレイはそう言って走り出そうとした。それをメルシアーナが制する。
「待って下さい。湖の町で落ち合いましょう。おそらく、私たちの方が先に町に着くと思います。こちらは辿り着き次第、祠で石碑を調査します。もし何かあったら、これを触って話しかけて下さい。その言葉は私の元まで届きますから」
 聖女はシャンレイに蒼い石のついたペンダントを渡した。シャンレイはそれを受け取り、しっかりと頷いた。そしてミサキの走り去った方に向かって全力で走っていく。
「――― パズズ、ソルティの行った方はわかるよね?」
 パレッティは冥神の使者に確認を取る。
「聞くまでもないよ」
 パズズは得意そうに返す。パレッティは頷いて八本足の黒馬、スレイプニルを召喚した。
「メルシアーナ、乗って。追いかけるよ!」
 パレティは先に馬にまたがり、彼女に手を差し出す。軽い身のこなしでメルシアーナが黒馬に乗ると、パレッティは号令をかける。
「スレイプニル、東へ行くよ!」
 嘶きと共に神馬は宙を駆けた。そして、信じられないスピードでソルティを追いかけていった。そして、そこには焼けこげた一枚の札が残されていた。



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