partita 〜 世界演舞

第六章 汝を守るための剣(2)


 結局、ミサキは力尽きるまで走り続けた。追いついたシャンレイたちをはねのけ、森を抜けたあともずっと走り続けたのだ。目の前には草原が広がっている。ミサキが倒れ込んだのは、夕陽が見え始めた頃だった。さすがにシャンレイも息を切らしている。シェーンは空を飛んで追いついてきたものの、ウェナーは途中で走れなくなったので空を見上げ、シェーンの姿を追ってこの場所に辿り着いた。もう少し歩くと、ウェナーの言っていた別の町に到着する。
「……仕方ないだろう。今日はあの町で休むことにしよう。ミサキは私が運ぶ」
 シャンレイは呼吸を整えると、勢いをつけてミサキを背負う。
「……ソルティたちは大丈夫かな?」
 シェーンは心配そうに森を振り返った。
「大丈夫でしょう。メルシアーナがついていますから」
 ウェナーは呼吸を整え、眼鏡の位置を直している。するとシェーンは後ろを振り返ったまま、呆然と口を開けていた。驚きと、嬉しさがない交ぜになったような表情。シャンレイもそちらを振り向いた。軽やかにリズムをきざむ、蹄の音。燃えるような空を背景に、白馬がこちらに向かってやってきた。
「――― セルリオス……」
 シャンレイも驚いて、その名を口に出した。フォートエイル伯爵、セルリオス。彼との再会は何カ月ぶりになるのだろうか。手綱を引き、馬上から彼は降り立った。
「久しぶりだな、シャンレイ、シェーン。……こんなところで遭遇するとは思わなかった」
 そっと笑みを見せる。そして、四人の顔を見て意外そうな顔になる。
「パレッティとソルティは一緒じゃないのか?」
「――― 事情があってはぐれた。落ち合う場所は決めているから、すぐに合流できると思うが……。そうだ、初対面だったな。セルリオス、こちらはウェナー。遺跡の研究をしている学者だ。ウェナー、こちらはセルリオス。ファラサーン王国の伯爵であり、騎士団の剣術及び魔術指南役だ」
 シャンレイはセルリオスの質問に答えると、互いを紹介した。
「今は、加えて騎士団の総司令も務めている。……ウェナー、だったか? 『神王遺跡に関する神像の検証』という論文の著者がそんな名前だったな。君のことか?」
 セルリオスは何か思い出すような仕草をして、彼女に尋ねる。ウェナーの顔が驚きで満ちた。
「よくご存じですね。あれは非常にマイナーな研究だというのに……」
「手に入る学術論文には必ず目を通すことにしているのでな。それに、あの論文は興味深かったのでよく覚えている。その著者に出会えるとは光栄だ」
 セルリオスは右手を差し出した。ウェナーはその手を握り返し、少しだけ微笑んだ。
「こちらこそ光栄です。伯爵に興味を持っていただけるなんて」
「……セルリオスって何でもよく知ってると思ったけど、本当にすごいんだね」
 シェーンが感心して呟く。セルリオスは彼女に笑顔を向けると、シャンレイを見た。
「――― ミサキはどうかしたのか?」
「狂戦士となり、森の中からほぼ一日かけてここまで走った。……今、力尽きて気を失ったところだ」
 シャンレイは苦笑する。すると、伯爵も彼女の心中を察した。人とは思えない苦行を重ねてきたとはいえ、彼女もまた人の子だ。相当疲労していることはその顔を見ればわかる。この冬も近いという寒い時期に、汗をかいている。セルリオスは何も言わずに彼女の背からミサキを持ち上げ、馬に乗せる。
「セルリオス……?」
 シャンレイの目がまるくなる。
「無理をするな。町へ行くのだろう? なら、私も目的は同じだ。たまには助けられてもいいのではないか?」
 セルリオスはシェーンに同意を求めるように、視線を向けた。シェーンはクスクスと笑い、力強く頷いた。
「そうだよ、シャンレイ。セルリオスの言うとおり。再会の意味も込めて、今日はみんなで楽しくやろうよ!」
 シャンレイはそんなシェーンの頭にポンと手を乗せた。
「そうだな。セルリオス、また途中まで同行してくれるか?」
「――― そうさせてもらおう。ついでに私の仕事の手伝いをしてくれるとありがたいな」
 伯爵は皆を見てそう言った。
「そういえば、セルリオスはこんなところで何してるの?」
 シェーンは彼の言葉に素早く反応した。
「人捜しだ。友人が私を訪ねてくるはずだったのだが、彼の国の方から帰国を急ぐようにという書状が届いたのだ。しかし、待てども暮らせども彼は来ない。そこで捜索の旅に出ているというわけだ」
 セルリオスは詳細を話すと、本当に困った顔を見せた。シャンレイたちは顔を見合わせた。
「そのくらいなら手伝おう。我々がどのくらい役に立つかわからないがな。……とにかく、町へ行って一休みしよう」
 一行は目の前の町に向かって歩き始めた。吹きつける風は一緒に雲を運んできた。夜には一雨降りそうな空模様。シャンレイはそんな空を見上げ、皆に気付かれないように溜息をついた。
 町に着くと、すぐに宿は見つかった。部屋にミサキを寝かせつけ、四人は夕暮れの賑やかな町に出た。本日最後の何とかを半額で、とか言う声が響いている。旅人たちが明日に備えた買い出しをしていたりする。
「で、セルリオス。その友達ってどんな人なの?」
 シェーンが尋ねる。
「肩書きはクリストリコ聖王国宮廷魔導師筆頭。背格好は中肉中背。金髪で、変わっていなければ長さは肩くらいまで。穏和な表情の男だ」
 セルリオスは辺りを窺いながらそう答えた。薄暗くなってきているので、周りの人間の顔を判別するのが難しくなってきている。
「クリストリコの宮廷魔導師? しかも筆頭ですか? 相当の実力の持ち主ですね」
 ウェナーはいつもの表情のまま呟く。クリストリコ聖王国。「神秘の国」と呼ばれる魔術王国で、水王の加護を受けた世界屈指の大国だ。その中でも、宮廷魔導師たちは選りすぐりの者たちだ。その筆頭を務めているということは、相当の手練れということになる。
「本人からはそんな雰囲気はしないのだがな。若干十八歳の若者だというのもあるが、鼻にかけない性格なのだ」
「じゅ、十八!?」
 思わず声をあげたのはシェーンだ。そんなに偉いのなら、きっと威厳のあるおじさんなんだろうと勝手に想像していたのだ。
「……まぁ、セルリオスの友人ならば、別に驚くことではないかもしれないな」
 シャンレイは辺りを見回しながら呟いた。セルリオス自身が二十八歳で伯爵だ。十八歳だろうとそれだけの地位のある者がいても不思議ではない。――― その時、シャンレイは懐かしい気配を感じた。路地の右の方。不思議と心の和らぐようなオーラ。彼女は思わずそちらへ向かった。
「あ、シャンレイ? どうしたの?」
 シェーンが後を追ってくる。シャンレイはニコリと微笑んで、あとは何も言わない。セルリオスとウェナーは顔を見合わせ、とりあえず彼女についていくことにした。路地の先、少し歩いたところにそのオーラを持つ人物がいた。――― やはりか。シャンレイは思わず嬉しくなってその人物に手を振った。
「エルディス!」
 その声に彼は振り向いた。彼は一瞬驚いて目をまるくしたが、優しい微笑みを返す。
「――― お久しぶりです、シャンレイ」
「……エルディス! エルディスだ! 久しぶりだね、元気だった?」
 シェーンも彼に気付くと駆け寄った。その姿にエルディスはしっかりと頷く。
「えぇ、もちろん。シェーンも元気そうですね」
「そういえば、アマネはどうしたのだ?」
 シャンレイは別れた時に彼と同行していた秘術士を思い出した。
「しばらく一緒だったんですが、東方に来る時にはぐれました」
 エルディスは困った表情を浮かべ、頭に手をやる。
「そうか。まぁ、アマネならばその内どこかで出くわすだろうな」
 シャンレイは腕組みをして呟く。そうしているうちに、後ろからセルリオスとウェナーが追いついた。エルディスは何かを思い出して、神妙な顔になった。
「そうでした。シャンレイ、実は……」
 何かを言いかけた時、セルリオスはハッとして行動に出た。
「エルディス!? 探したぞ、今までどうしていたんだ!?」
「……セルリオス?」
 エルディスの両肩をむんずとつかんで真剣に語りかける伯爵に、シェーンは思わず声を漏らした。中肉中背。肩まで伸びている金色の髪。そう言われてみれば、彼は先程のセルリオスが言っていた特徴に見事に当てはまる。
「えっと、あの……」
 エルディスは何が何だかわからずに、困った表情で彼を見た。
「国の方から至急帰国しろという書簡が来たのに、一向にお前は現れない。一体何があったというんだ?」
 セルリオスは厳しい表情で彼を問いただす。エルディスは余計に混乱して、困った表情になった。
「えっと、どういうことなんでしょう……?」
 シャンレイはハッとして思い出した。そう、エルディスは記憶喪失だった。
「セルリオス、落ち着いてくれ。一から話す」
 とりあえず伯爵の手をエルディスから離させ、こちらに注目してもらう。セルリオスは事情がわからないままなので、少し冷静さを欠いていた。
「シャンレイ、お前がエルディスと会ったのはいつのことなんだ?」
「セルリオスと別れて数日後だったかな。……彼は記憶喪失だったのだ。エルディス、彼のことをまったく思い出せないのか?」
 シャンレイは伯爵に答えると、エルディスに目を向けた。
「……何となく、懐かしい感じはします。でも、思い出せません。すいません」
 彼は申し訳なさそうに、セルリオスに対して頭を下げる。謝られてしまった本人は愕然としている。
「……まさか、こんな事になっていようとは思わなかったな。参ったな。このままではグレイスに何と言っていいか……」
「グレイス?」
 シェーンがおうむ返しに尋ねる。
「あぁ、クリストリコの近衛騎士筆頭だ。神剣に選ばれた女性で、エルディスの幼なじみでもある。エルディスに帰ってくるよう指示してきたのは彼女なんだ」
 クリストリコはかつて、水王によって神剣を与えられていた。その神剣は国を守るものとされている。これを使える者は「水の騎士」と呼ばれる一族の者で、その一族は代々王家に仕えているという。どうやら、セルリオスはこの町でその「グレイス」という騎士と落ち合うことになっているらしい。無論、このエルディスを探すためだったのだが。
「……グレイス……」
 その名に反応したのはエルディスだった。眉を寄せて、深く考え込む。
「――― わかりそうで、わからない……。『グレイス』……」
「……エルディス」
 シャンレイは心配そうに彼を見つめた。焦らずに思い出せ。そんなことを彼に忠告したのは他ならぬ自分だった。それはおそらく、彼の精神に大きな負担を与えるものだと確信を持っていたからだ。その時、こちらに向かって蹄の音が聞こえてきた。少し急いでいるような歩調だ。皆がそちらを振り向くと、馬上の人物はこちらに気付いて馬を降りた。そして、こちらに向かって走り寄ってくる。女性だと認識した時には、シャンレイの前を横切っていた。
「――― エルディスっ!! 貴方一体どこをほっつき歩いていたのっ!?」
 エルディスの胸ぐらをつかみあげ、激しく揺する。緩いウェーブのかかった赤い髪を結い上げている女性。その腰には美しい装飾の施された剣が下がっている。――― あぁ、彼女がグレイスなんだ。それはシャンレイたちにもわかった。
「あ、あの……?」
 エルディスが当惑して彼女に何かを告げようとする。しかし、間髪置かずに彼女は捲し立てる。
「連絡はよこさないし、セルリオスの所へ行くって言ったのにそこにもいない! 本当に何をしてたの!? こっちは大変なことになってるのに!」
 半ば首を絞めるような形になり、エルディスは苦しそうに彼女の方を見ていた。そして、彼はようやくその言葉を口にした。
「あ、あなたはどなたですか……?」
 グレイスの手がぴたりと止まった。そして、きょとんとして言葉にならない疑問符を表情にした。
「グレイス、気持ちはわかるがやりすぎだ。エルディスは記憶を失くしているらしい」
 セルリオスが冷静に口を挟む。グレイスは彼の存在を確認し、そして再び幼なじみの顔を見た。考えること暫し。急に手を離したと思うと、次の瞬間には平手がとんだ。
「きゃっ……」
 思わずシェーンが声をあげる。急に手を離されてバランスを崩していたエルディスは、思いっきり倒れ込んだ。グレイスはまるで鬼のようであった。
「栄誉あるクリストリコ聖王国宮廷魔導師筆頭、エルディス。その生まれは幻術を血族によって保持し続けた一族。十歳で宮廷入りし、十三歳という若さで魔導師筆頭候補となる。十五の時に一族の当主となり、宮廷魔導師筆頭に正式に任命される。以後、国王の右腕となり今に至る。それがあなたの今までの軌跡よ。……それでもまだ思い出せないと言うの?」
 凛とした表情になった彼女は、近衛騎士筆頭という肩書きに負けない心の強さを現した。そのオーラは静けさの中に激しいものを秘めていた。シャンレイは思わず唾を飲み込んだ。
「……あぁ……、そう、そうですよ。私はクリストリコの宮廷魔導師。セルリオスに頼まれていた資料を渡すために、ファラサーンに向かっていたんでしたっけ……」
 上半身を起こしながら、エルディスは譫言のように言葉を零した。失われていた断片が、彼の中に甦ったのだった。
「――― 思い出したのだな、エルディス」
 シャンレイはホッとしたように、胸を撫で下ろす。彼はシャンレイを見上げて、情けない笑みを見せた。
「はい。ようやく。……強烈な平手打ちでしたからね」
 そう言ってグレイスの方に目を向けた。彼女は仕方ないというように溜息をつくと、彼に手を差し伸べた。
「いい薬になったでしょう? いつもマイペースなエルディスには、このくらいが丁度いいのよ」
 その顔にはほんの少しだけ、安堵の表情が浮かんでいた。エルディスはその手を取って立ち上がった。
「セルリオス、すいません。何だか手を煩わせてしまったようですね」
「気にすることはない。国王に時間をいただくことができた。当分はこれで旅をしていられる」
 セルリオスは首を振ってそれに答えた。すると、グレイスは彼に向かって頭を下げた。
「ありがとう。こんなところまで出向いてくれて。それと、こちらの方たちは……?」
 彼女はシャンレイたちを見て尋ねる。するとセルリオスは、紹介もしていないことに改めて気がついた。
「すまない。グレイスの勢いがよかったもので忘れていた。こちらはシャンレイ。以前一緒に旅をした仲間だ。それと彼女がシェーン。彼女もシャンレイと同じく一度旅をした仲だ。そして、ウェナー。彼女とは先刻会ったところだが、学者だ。で、彼女はグレイスだ。先程話したが、クリストリコの近衛騎士筆頭を務めている」
 お互いに紹介され、シャンレイは手を差し出す。グレイスは柔らかな笑みを浮かべ、その手を取った。
「シャンレイ、ね。よろしく。あなたは格闘家なのかしら?」
「そうだ。一応、一流派の後継者ということになっている」
 よろしく頼む。シャンレイはそう言って、軽く頭を下げた。
「グレイス、よろしくね。あたしの本業は踊り子なの」
 シェーンの笑顔に、グレイスも微笑み返す。
「あの、よろしくお願いします」
 ウェナーはいつも通りの無表情でとりあえず挨拶をした。学者は気むずかしい。彼女も例外ではないのかもしれない。グレイスはそう考え、よろしくという言葉を返した。
「で、クリストリコで何かあったのですか?」
 エルディスは神妙な顔になり、グレイスに尋ねた。彼女は大きく溜息をつく。そして肩をすくめた。
「こんなところで話せる話ではないわ。どこか、宿で話しましょう」
「ならば、我々の取った宿があるが」
 シャンレイの提案に、グレイスは微笑みを見せた。
「それなら、そうしましょう。シャンレイたちも巻き込むことになってしまうかもしれないけれど、いいかしら?」
 その言葉に、シェーンがシャンレイを見上げた。湖の町で、メルシアーナたちが待っている。それはシャンレイも忘れてはいなかった。しかし先程のグレイスの言葉だと、事は一国の状況を左右するものなのかもしれない。それを放っておけるほど彼女は周りに無関心ではなかった。
「……セルリオスやエルディスには世話になった。及ばずながら手を貸そう」
「シャンレイ、ソルティたちは……?」
 シェーンが心配そうな顔になった。
「こちらから連絡しておく。そのためのペンダントだからな」
 シャンレイはポケットから蒼い石のついたペンダントを取り出した。そして、その石の部分を触る。
「メルシアーナ、シャンレイだ。どうしてもやらなければならないことができてしまった。石碑解読を頼む。そして、それでも私たちが戻ってこなかったら、その町で待機していて欲しい。よろしく頼む」
 シャンレイは小さな声で呟いた。石が一瞬きらりと光ったような気がした。シェーンは彼女の顔をのぞき込んでみる。
「……届いたかな?」
「――― おそらく」
 シャンレイは頷いた。すると、ウェナーが二人に声をかけた。
「二人とも、早く行きましょう。もしかしたら、ミサキが目を覚ましているかもしれません」
 そうだった。眠ったままのミサキには伝言すら残していないのだった。
「大変……! ミサキ、暴れ出したりしないかな?」
 シェーンは冗談半分に言う。
「まさか。大丈夫だろう」
 シャンレイはクスクスと笑うと、皆と宿に戻っていった。



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