partita 〜 世界演舞

第六章 汝を守るための剣(3)


 宿に戻ると、ミサキはまだ眠っていた。一応、グレイスに彼女のことも紹介しておく。そして、グレイスは静かな声で語り始めた。
「クリストリコ聖王国の現国王、ケネフ一世陛下には王妃、シュテルナ様との子はいないの。王妃はご成婚から数年後、病にかかったの。そして、子を作れないまま亡くなったわ。それが三年前の話」
 しかしケネフ一世には、王妃と婚約する前に恋に落ちた女性がいた。ファラサーンからの大使としてやってきた侯爵。その娘だった。
「ニベットという女性です。セルリオスは面識があるのでしょう?」
 グレイスの問いに、伯爵は軽く頷いた。
「あぁ。パーティーで何度か。貞淑で、落ち着きのある女性だったな」
「――― 陛下が王妃と婚約したのは八年前。ニベット様と出会ったのは十二年前の話だったと聞いているわ」
 王妃との結婚は、王室の決定だった。だが、ケネフ一世の心はずっとニベットにあった。そして、王妃の逝去後。ニベットとの間に、一人の女児がいることがわかった。
「陛下は二回結婚しているけれど、結局子供は作れなかった。だから、ニベット様の御子はたった一人の直系なの」
 その事実を知ったケネフ一世は、すぐにでも彼女を王宮に迎え入れようとした。しかし、王家の中ではそれを芳しく思わない者たちもいた。現にニベットとその娘は何度か危険な目に遭った。
「――― 事を急ぐことになり、内密に二人を王宮に入ってもらうことにした。……そこまでは私も聞いています」
 エルディスが真剣な目を向ける。どうやら、その先に何か問題があるようだ。その証拠に、グレイスとエルディスの目は険しくなっていた。シャンレイたちは思わず唾を飲み込んだ。
「敵を欺くことなら簡単にできるわ。だけど問題は当の本人、王位継承者のアリア姫なのよ」
 グレイスはうなだれるようにその名を告げた。エルディスは、あぁ、やっぱりと呟いて空を仰いだ。
「……アリア姫に何か問題でも?」
 セルリオスもその姫君のことは聞き及んでいるようだった。しかし、その問題とやらは見当がつかないらしい。
「私が言っていいことではないのだけど、夢見がちで我が儘なお姫様なのよ、アリア姫は」
 グレイスは頭を押さえて答えた。
「……やはり、それで王宮入りを拒んでいるんですか……」
 エルディスは溜息をついた。
「どういうこと?」
 シェーンは理解できず、首を傾げている。
「つまりね、アリア姫は素敵な王子様が迎えに来てくれると思っているの。だから、お気に召すような王子様が来てくれないと王宮入りしないと言ってきかないの」
 お二方をよく思っていない連中の刺客はいつ来てもおかしくないというのに……。グレイスはまた、深々と溜息をついた。
「王子様になれそうな人物に迎えに行ってもらえばいいのではないのか?」
 シャンレイは単刀直入に意見を言う。しかし、彼女は首を振った。
「それがね、あの姫君の理想って高すぎるのよ。容姿端麗でスマート。それでいて無敵の強さを誇っていて、どんな時でも彼女を助けに来てくれるような人。……そんな都合のいい人材が我が近衛騎士隊にいるわけがないのよ。だから力ずくでも、と思ってエルディスを捜していたの」
 エルディスはグレイスの切り札として出した案に対し、難色を示した。あまり気が進まない。そう顔に書いてあった。
「そんなことをして王宮で駄々をこねられたら、それこそ堪ったものではありませんよ。納得させる方法を考えた方がいいのではないですか?」
「無理よ。近々、姫を攫う計画を立てているという話を入手したの。警護に当たっている者たちには伝えたけれど、急いで身の安全を確保しないとクリストリコの未来がかかっているのよ?」
 グレイスは厳しい言葉を浴びせかけた。とにかく、その姫君と会ってもう一度話をするしかないのでは。……事が一刻を争っているのであれば尚更だ。シャンレイはグレイスに目を向けた。
「どちらにせよ、姫君に会わなければならないだろう。説得するにしても、その身を守るにしても、ここで議論していても始まらないからな」
「そうですね。じっとしていても良い案は浮かんできません。時には行動から結果を得られる場合だってありますから」
 ウェナーもその意見には賛成のようだ。眼鏡の位置を直して呟く。
「――― そうね、そうかもしれないわ。明日の朝にでも出発しましょう。私、馬車を調達してくるわ。ここからだと、少し距離があるから」
 グレイスはそう言って立ち上がる。そして、ごく当たり前かのようにエルディスも腰を上げた。
「お供しますよ。暗くなってきましたからね。いくらグレイスが騎士でも、一人歩きは危険ですから」
 どこか心配そうな笑顔を見せる。グレイスはありがとう、と呟いて部屋を出ていく。エルディスも皆に軽く一礼すると、彼女についていった。
「……問題はミサキだな。明日の朝までに目を覚ましてくれればいいのだが」
 セルリオスは深く眠ってしまっているミサキの姿を見た。いつもはうるさいいびきも、今はかいていない。死んだように眠る。まさにそんな感じであった。
「もし目覚めなければ、私が担いでいく。……心配はないと思うが」
 シャンレイは立ち上がって窓際に移動する。湿った匂いが鼻につく。そろそろ雨が降り始めるのかもしれない。嫌な雨だな。……シャンレイは心の中で呟いた。雨にはいい思い出がない。両親が死に、故郷を失った日も雨が降っていた。
「……明日は激しく降るかもしれませんよ」
 ウェナーも窓の外を見て呟いた。ぽつり、ぽつりと雨粒が落ちてきた。
「――― 嫌な雨になりそうだな」
 セルリオスもそう言って立ち上がった。その時、呻くような声がした。
「……ぅぅぅ……、あぁ……ん?」
「ミサキ……?」
 シェーンが横になっているミサキを見た。ミサキはうっすらと目を開けていた。
「……あれ……? シェーン……?」
「もう、『あれ?』じゃないわよ! 心配したんだからね!」
 ミサキが少女の存在を確認すると、安心したためかシェーンは怒ったように捲し立てた。何故この少女がこんなに怒っているのか。……ミサキにはわからない。それに、ここはどこなのかも。辺りを見回し、どこかの宿屋だろうという予想をつけた。視界内にはシャンレイ、ウェナーの姿も見える。――― その奥に、青みがかった銀髪が見えた。あんな珍しい色、他にはそうそうない。思わず飛び起きる。
「あ? セルリオス!? ……お前、なんでこんなところにいるんだ!?」
 一気に目が覚めた気分だった。
「……なかなか目を覚まさないと思っていたが、存外元気そうだな、ミサキ。その様子だと、体に支障はないようだな」
 セルリオスはふと微笑んだ。棘のある台詞。これはまさしくセルリオスだ。……ミサキは何だか浮かれてきた。
「はははっ! 何だか知らねぇが、久しぶりだな! 今日は大宴会か?」
「――― ミサキ。お前は半日以上走り通したんだぞ。おそらく、体中筋肉痛のはずだ。明日にはここを発つ。身体を休めろ」
 シャンレイはミサキの方を睨んで叱咤する。ミサキはきょとんとしている。言葉をうまく把握できないようだ。
「……半日も走った……? 俺が……?」
「もう! 森で突然襲われたでしょ? その時にバーサークして、この町の近くまで走ってきたの。そこで力尽きて倒れてくれなかったら、大変なことになったんだよ?」
 シェーンは眉を寄せて、ミサキを叱る。その言葉で、ミサキはようやく事態を把握した。
「――― そうか。俺、バーサークしちまったのか。情けねぇ。全然制御できないんじゃねぇか」
 らしくなく、落ち込んだ表情をのぞかせている。シェーンは言いすぎたと思い、思わず眉尻を下げる。それに呼応するように、翼も少し下向きになる。シャンレイはそんな彼女の肩に手を置いた。
「今回は仕方ない。完全に罠を仕掛けられていたようだからな。そう落ち込むこともない。それより、今までの経緯とこれからのことを話しておかなければならない」
 シャンレイは順を追って話し始めた。セルリオスとの再会。エルディスとの邂逅と、記憶の再生。そしてグレイスのこと、クリストリコのこと……。彼女が気を失っている内に、いろいろなことがありすぎた。ミサキが事を理解するのに、シャンレイは三度も説明をしなければならなかった。
「――― ……つまり、だ。俺たちはこれからそのお姫さんの身を守りに行くってわけか?」
「そういうことだ」
 少々うんざりした顔で、シャンレイは頷いた。その時、エルディスとグレイスが戻ってきた。
「只今戻りました。あ、ミサキ。大丈夫ですか?」
 エルディスは起きあがっているミサキに、会釈してみせる。
「おぉ、久しぶりだな、エルディス! 平気、平気。ぴんぴんして……っぎゃ」
 腕を上げ、力瘤を作って見せようとしたミサキの顔が強張る。どうやら、激痛が走ったようだ。
「だから、筋肉痛のはずだと言っただろう」
 シャンレイは溜息まじりに呟き、腕を組んだ。
「大丈夫ですか? ……あ、初めまして。私はグレイスと言います」
 グレイスが彼女を気遣いながら、自己紹介を始めたその瞬間だった。二人の視線が合致したその時、二人はまるで時が止まったかのような錯覚を覚えた。そして、何処からともなく「声」が響いてきた。
――― 汝ら、対なる力を有するもの。其は[灼熱]なり。狂乱に住まう者なり。
 その言葉はミサキに向かって発せられている。
――― 其は[極寒]なり。不可視の明日を憂う者なり。
 続いてグレイスにも言葉が向けられた。そして、ミサキの左の手のひらとグレイスの左の太股から光が放たれた。それは静かに輝き、消えていった。
「……」
 二人は見つめ合ったまま、瞬きすらしないままだった。
「ミサキ? グレイス? ……二人ともどうしちゃったの?」
 シェーンの言葉で、二人は金縛りが解けたかのように我に返った。そして、辺りを見回す。別に問題はないようだ。
「……セルリオス、今のはまさか……」
 シャンレイは確信を持った瞳を伯爵に向けた。彼もしっかりと頷く。
「間違いない。私とシャンレイが出会った時と同様だ」
 二人にはどうやらその声が聞こえたようだった。しかし、他の三人にはまったく聞こえていない。シャンレイはミサキの左手を取る。さっき発光していた手の甲を見る。セルリオスものぞき込む。
「……炎の紋章、だな。ということはグレイス、君のは水の紋章か?」
 グレイスに目をやると、彼女はしっかりと頷いた。
「……おそらく。でも、八歳の時に消えたはず……。[冷晶剣(クリスティア)]を継承した時になくなったと思っていたのだけれど」
 彼女は腰に挿している美しい装飾の剣の柄に手をやる。片刃の曲刀。その刃は水晶のように透明である。これが水王から授かった神剣であった。
「……異様な現象だな。私が風、グレイスが水までは何となく理解できる。しかし、セルリオスの大地とミサキの炎は何を意味しているのだ……?」
 シャンレイは眉を寄せて呟く。
「……紋章って、シャンレイの胸のところにあったあの模様のこと?」
 シェーンは話の見えない会話に糸口を見つけた。
「そうだ。紋章が現れる時、何処からともなく声が響き、それが光り出すのだ。……しかし、他の者にはその声も発光現象も見えないのだ」
 シャンレイは簡単に説明した。
「まぁ、深く考えても仕方ねぇよ。出てきたモンは出てきちまった。それだけだ。考えて答えがすぐに出るモンでもないんだろ?」
 ミサキは肩をすくめてみせる。あまりにあっけらかんと言う彼女に少し面食らったが、確かにその通りだ。セルリオスは苦笑した。
「――― 相変わらずの発想だが、確かに真実は出てこないだろうな。これについては少し忘れておこう。じきにわかってくるだろう」
 セルリオスの言葉に皆は頷いた。
「それより、嫌な予感がするの。明日は早く出ない?」
 グレイスは胸を押さえ、シャンレイ立ちに提案する。
「……グレイスの『嫌な予感』は大変なことが起こるまで消えないんです。何に対してその予感を感じているのかはわかりません。しかし、万が一ということもあります。明日はできるだけ早くに出ましょう」
 エルディスも神妙な顔で言う。シャンレイは深々と頷いた。
「了解した。天候もよくない。夜が明けたら出発するようにしよう。エルディス、馬車は大丈夫なのか?」
「心配には及びません。いつでも出せるようにしておくと言っていましたから」
 エルディスは笑顔を向けた。
「すると、あとの心配はミサキの筋肉痛ですね」
 ウェナーはちらりとミサキに目をやる。ミサキは苦笑して、頭を掻いた。確かに、動きにくいとなると厄介だ。
「心配ないよ。あたしが神術をかけるから」
 あっさりと関所を破ったのは、シェーンだった。そう。彼女はメルシアーナに神術の基礎を教えてもらっていたのだ。そういえば、あの巫女に「筋がいい」と誉められていたことをシャンレイは思い出した。
「ならば、問題はないな。今夜は早く眠ることにしよう。明日の朝は、容赦なく早朝に起こすからな」
 彼女は少し楽しんでいるかのように言った。本当に論外な時間に起こされかねない。ミサキはゴクリと唾を飲み、今晩は飯を食ってとっとと寝ようと心に決めたのだった。



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