partita 〜 世界演舞

第六章 汝を守るための剣(8)


 再び数日、寒空の下を駆けていった。冬の到来ということもあって厳しさは増していく。何故だか妖魔とも頻繁に出くわした。しかし、それ以上に驚くべき事は、アリア姫の行動である。自らシャンレイの馬に乗り、彼女から離れようとしない。……グレイスは何故だかとても不安になってきた。そんな道を急いで駆けていき、ようやくクリストリコ王宮にたどり着いた。異種独特の、緊張をはらんだ空気はいつもと変わりがない。外を歩く人々は、毛皮のマントなどを羽織り始めている。魔術大国、神秘の国。そんな言葉で呼ばれているクリストリコは王宮に近ければ近いほど、たくさんの学術機関が立ち並んでいる。さすがにいつ戻ってくるかわからなかったこともあって盛大な迎え、というわけにはいかなかったが、王宮の門内で王自らが出迎えた。
「さぁ、姫。気をつけて降りて下さい」
 シャンレイもさすがに慣れてきたようで、しっかりとアリアをエスコートする。そして、姫とグレイスが国王の前へ行く。その後ろからセルリオス、シャンレイ、ミサキ、シェーン、ウェナーが続く。
「陛下、大変ご心配をおかけしました。只今、クリストリコ聖王国第一王女アリア様をお連れいたしました」
 グレイスは片膝をつき、頭を垂れる。すると、ケネフ一世はしっかりと頷いた。
「ご苦労であった、グレイス。詳細はエルディスから聞いている。困難な道のりであっただろう。任務、ご苦労であった。今日はゆっくり休みなさい」
 国王はアリアと再会の抱擁をする。実際に会うのは一年以上振りのことだった。
「はっ。それと陛下にご紹介したいのですが、こちらは私の任務の手助けをして下さった方々です。彼らなしではこの任務、達成できなかったかもしれません」
 グレイスは後ろの五人に視線を向けた。国王は人の良さそうな笑顔で一行を見た。そして、驚いて目をまるくした。
「フォートエイル伯! わざわざこちらまで来てくれたのか! 感謝するぞ!」
 セルリオスとケネフ一世は何度か顔を合わせていた。多忙な彼がここまでやって来るとは夢にも思っていなかった。
「いえ、礼には及びません。私もエルディスを捜すついでに暇をいただくことができましたから」
 セルリオスは飽くまで恭しい態度で接する。
「……お父様。紹介したいんですの」
 何かを言い出したくてむずむずしていた小さな姫が、意を決して話を切り出す。ケネフ一世も姫の態度に、一度その手を離した。するとアリア姫はシャンレイにかけより、その手を引っ張った。シャンレイはびっくりしながら、王の前に立たされる。
「こちら、シャンレイ様。命を懸けて私を守って下さった方なの」
 シャンレイは慌てて姿勢を低くする。
「そうか。シャンレイ殿、アリアを助けてくれたこと、感謝するぞ」
 王は何度も頷いて、優しい口調でそう言った。
「恐縮です」
 シャンレイは冷静に答える。すると、アリアがニコリと微笑んだ。
「それで、お父様。私、シャンレイ様と婚約したいんですの」
 周囲に真っ白な空間が生まれる。急に風がやんだかのように無音の状態がやってきた。
「――― アリア、今何と?」
 ケネフ一世は我が耳を疑い、もう一度尋ねる。
「ですから、私はシャンレイ様と婚約したいんですの!」
 王は唖然とした顔でアリアを見、そしてシャンレイの顔も見た。当の本人すら呆然としていた。
「ちょっ、ちょっと! シャンレイ、どういうことなの!?」
 思わずグレイスがシャンレイににじり寄る。
「……それは私が聞きたい」
 低い声で、シャンレイが返答する。すると、夢見心地の姫は話を続ける。
「私、ずっと素敵な殿方と出会うことを待ち望んでいました。命がけで私を守って下さるような、強くて優しい方を……。シャンレイ様はまさにそれでしたわ! シャンレイ様こそ、私が待ち望んでいた王子様なのです!」
 力説する小さな姫に、この場にいた全員が我を失うところだった。辛うじて国王は現実を見失っていなかった。
「あ、アリアよ。婚約というのは、少し性急ではないかね? 他にも強くて優しい者は大勢いる。何も今決めなくとも良いのではないか……?」
 どうやら、国王もシャンレイが女性であることには気付いてないようだった。そして一行の中の誰一人として、その事実を告げられる勇気のある者はいなかった。
「いいえ、お父様。シャンレイ様より強い方なんて、この世に存在しませんわ」
 自信たっぷりに彼女は言い放つ。困ってしまった国王は、シャンレイの方に顔を向けた。冷たい風がヒュッと吹き抜ける。
「……姫、勿体ないお言葉ですが、私は王たるに相応しい人物ではありません」
 シャンレイは一生懸命言葉を選んで切り出す。
「何故? 家柄? それともクリストリコの人間ではないから?」
 アリアは彼女がそんなことを言い出すとは思っていなかったのか、焦ったように振り返る。それを遮ったのは、グレイスだった。
「とにかく、中で話しましょう。ここではお体に触ります」
 アリアとケネフ一世に声をかける。その言葉に異論はなかった。すぐに王宮内に入り、会議の間に通された。それぞれが席に着き、一通り自己紹介をしたところで話は再開された。
「――― 私が王位につけない理由、でしたね」
 シャンレイは飽くまで真剣な瞳を姫に向けていた。アリアも真っ直ぐにその瞳を見つめ返した。
「えぇ。私が納得できるようにお話しして下さい」
 皆の視線がシャンレイに集まる。
「それでは、一つ目に。クリストリコは魔術大国と聞いています。王たるもの、それに関する知識と少なからずそれを扱える能力が必要かと思います。しかし、私には魔術を扱う才能はない」
 シャンレイの言葉には、セルリオスやウェナー、グレイス、そしてミサキまでも驚いた。
「どういうこと? あなたは風を自在に操っているじゃない」
 グレイスが思わず尋ねた。すると、シャンレイは苦笑した。
「……確かに私は風を集めることができる。しかし、私には風の精霊の姿は見えない。私には、精霊たちの声すら聞こえないのだから」
 魔術を扱う絶対条件として、魔力を有することがあげられる。それを判断する簡単な方法が、「精霊を見ること」であった。魔力が少しでもあれば、何らかの形で精霊を見ることができる。自然のありとあらゆる場所に精霊は存在する。一番見えやすいと言われているのは、六つの属性の精霊たちであった。すなわち、光の精霊(ウィスプ)、闇の精霊(シェイド)、大地の精霊(ノーム)、風の精霊(シルフィード)、水の精霊(オンディーヌ)、そして炎の精霊(サラマンダー)である。その一つであるシルフィードすら、シャンレイには見えない。
「嘘だろ? 俺だってサラマンダーくらいならたまに見えるぜ!?」
 声をあげたのはミサキだった。シャンレイは首を振る。
「生まれてから、一度だって見えたことはない。――― それと二つ目」
 彼女は微笑みを浮かべた。
「私には、守らねばならない人たちと場所がある。私はそこから離れ続けることはできない」
 幼少の頃より、師匠と共に住んできた霧海山。その麓の村は、彼女にとっての第二の故郷だ。そして、流派を継承するということは、村の守護者となることに等しい。
「……確かに。それでは王位につくことは難しいですね」
 ウェナーも頷く。アリアに反論の余地はない。
「――― そして、最後の一つ」
 まだあるのか、と言わんばかりのアリアの瞳。シャンレイは苦笑した。
「私は、姫と同じく女性なのです。そうは見えないかもしれませんが」
 アリアとケネフ一世は言葉を失った。それはまったく予想していない答えだった。
「……それは、本当なのか? シャンレイ殿」
 思わず王は尋ねてしまう。彼女はしっかりと頷いた。
「もちろんです。グレイスの証言があれば、納得いただけますか?」
 その言葉で、国王陛下の目はグレイスの方に向けられる。彼の信頼する騎士はしっかりと頷く。
「はい。シャンレイは女性です」
 成程。言われてみれば、女性のような気もする。ケネフ一世は納得したようだ。
「――― 嘘」
 呟いたのは、アリア姫だった。シャンレイは震えるその声にドキッとして、幼い少女の方を見た。
「そんなの嘘! みんな、私をシャンレイ様から引き離すための嘘よ! だって、シャンレイ様は私を庇って大怪我したのよ! 私が眠るまでそばにいてくれたんだからっ!」
 堰を切ったかのようにそう言い捨てると、勢いよく部屋を飛び出していってしまった。皆は唖然として、その姿を見ていた。
「……申し訳ありません。私の行動が不用意だったのかもしれません」
 シャンレイは思わずケネフ一世に頭を下げた。もっと早く姫の気持ちに気付いていれば、こんなことにはならなかったのかもしれない。
「いや。貴殿のせいではない。あれは本当に思いこみの激しい性格だ。ありがちなトラブルだよ」
 国王は苦笑いを浮かべる。そして、国王は深く溜息をつくと、皆に顔を向けた。
「アリアの命を助けていただき、感謝する。たいしたもてなしはできないが、ゆっくりと身体を休めていってくれたまえ」
「……私たちは大切な人の仕事を手伝っただけです。王様が気にする事なんて何もないですよ」
 シェーンがとびきり明るい笑みを見せた。すると、ケネフ一世は穏やかな表情になった。皆は国王の顔を見て、互いに顔を見合わせた。互いを讃え合うように笑う。そんなことをしていると、ドアがノックされた。
「―――入りなさい」
 王の声が広い部屋に響く。すると、ゆっくりとドアが開けられる。中に入ってきたのは、エルディスだった。
「陛下。アリア姫が凄い形相で走っていきましたが……」
「……少し放っておいてやってくれ」
 エルディスの言葉を返しながら、空いている席に座るように勧める。エルディスはそれをやんわりと断る。どこか忙しそうだ。
「エルディス……」
 口を開いたのはセルリオスだった。グレイスも心配そうな顔を向けている。彼自身のこととケヴィンのこと。その両方が気になって仕方ない。すると、エルディスは困ったように微笑んだ。
「どうしたんです? 二人とも変な顔をして。私は何ともありませんし、兄も少し療養すれば元に戻るでしょう」
 エルディスの言葉に、グレイスはホッと胸を撫で下ろした。とにかく、間違いだけは起こらなかった。それだけで充分だ。
「それより陛下。宴の準備、間に合うかわからないのでちょっとした催し物を考えました」
 エルディスは素早く話題を切り替え、ケネフ一世に顔を向ける。
「催し物? 何をするのだ?」
 不思議そうにエルディスを見て、腕組みをする王。その様子に満足げな顔をするエルディスは、ニコリと微笑むとシェーンに手招きをする。
「シェーン。私たちで宴を盛り上げましょう。私たち二人でないと、盛り上がりませんからね」
 その言葉に、シェーンは大きく頷いた。
「わかったわ、エルディス。素敵な宴にしようね!」
 彼女は立ち上がってエルディスの方に向かう。
「私のリュートと彼女の舞があれば、あとは料理だけで十分ですからね。では陛下、私たちは準備に取りかかります」
 そう言って一礼すると、部屋を出ていってしまった。呆気に取られていた王は気を取り直す。皆の方を見ると、優しい笑みを浮かべた。
「準備がすむまで、客室でゆっくりしてくれたまえ。グレイス、お連れしなさい」
「――― はっ」
 グレイスが一礼して立ち上がると、皆もそれに倣う。そして、次々と会議の間を去ろうとした時、王はふとシャンレイに目を向けた。
「――― シャンレイ殿。折り入って頼みがある」
 ケネフ一世の眼差しは実に真剣なものであった。シャンレイは王のもとへ戻ってくると微笑を浮かべた。
「私にできることでしたら ―――」



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