白の死神

        (3)

 翌朝、シャナイの率いる騎士団が城から出陣する。二階のバルコニーから、兄と弟がその様子を見守っていた。
「……シャナイ兄さん、やはりあの契約の書に目を付けていたのですね……」
 ウェンリは沈んだ顔で次兄の勇姿を見つめていた。純白のサーコート。それが意味するものを、彼はよく知っていた。この王城の書庫はウェンリのテリトリーだ。過去の英雄たちが何をしたのかくらいは知っている。
「――― もう、あいつを止めることはできない。私たちはシャナイを信じて待つしかないんだ……」
 ファルトの、どこか遠くに向かって言い聞かせるような声。ウェンリは隣に立つ兄のことも心配だった。昨晩から様子がおかしい。途方に暮れたような表情に、ウェンリは戸惑いを隠せない。
「ファルト兄さん……」
 彼が声をかけた時だった。戦場に向かう白き王子が兄の方を見た。その眼差しは鮮烈に脳裏に焼き付いた。強く、激しく、そして勇ましい瞳は訴えかけていた。――― この国を頼む、と。
(……シャナイ……。私は、お前を止めることはできないのか……?)
 ファルトには昨晩の弟の言葉が離れなかった。
――― 戦が終わり次第、俺を北の塔に枷をはめて幽閉してくれ……。
 頷いた彼だったが、やはり躊躇いはあった。本当に国を憂いた弟を幽閉することなど自分にできるのか、自信がなかった。
(――― しかし、私に迷っている時間などない、か)
 ファルトはシャナイの強い眼差しに応えるように頷くと、城の中へ舞い戻った。そして、兵士たちに命令を出した。
「――― 大至急、銀の鎖と枷を用意してくれ」
 その声は聞こえるはずもないシャナイの耳に届いていた。
(……これで、心おきなく戦えるな)
 彼は愛用の武器を見た。鈍色に光る大鎌。もっとも死神に相応しい武器だ。それを彼は何年も使ってきた。まるで予見されていたかのように、何らかの宿命を感じる。最初から彼は英雄となるために、死神となるために生まれてきたような気がしていた。
(……死よ、俺はこの国を救うために修羅になる……。もう二度と、優しい子供たちの顔を見ることもないだろう……)
 自分についてくるといった子供たちの笑顔は彼の胸に焼き付いていた。この国の希望の芽。彼らを守るために、シャナイは声を張り上げた。
「すべてはアクメイア王国の未来のために!」
 騎士たちはそれを復唱する。民衆から声援があがる。後ろを振り返ると、子供たちが一生懸命手を振っていた。シャナイはニヤリと笑うと、手を軽く挙げる。
 城壁の門をくぐり抜けると、彼の顔から笑みは消え去った。それは修羅。なだらかに続く戦場への道に蹄の音が響き渡る。何百という騎士が彼の傘下に入り、一団を形成している。その光景は悠然として勇ましい。とても劣勢におかれている国の騎士たちには思えなかった。

 戦場から離れた場所に陣営を置く。偵察にいっていた者が戻り、シャナイのテントに報告に来る。状況は悪し。現在、最終防衛線のハイライド隊が雷導騎士団と交戦中。敵の勢いは止まらず。三日後にはここも戦場になる怖れあり。
(……近い。三日、いや二日だ。二日でここにゲシュテットの雷導騎士団が来る)
 死の予感。肌で感じられるそれが、確かであることは疑いようがない。
「……明日の晩、川沿いの森付近に布陣を敷く。敵は勢いに乗って川沿いに下ってくる。ここに布陣したことはまだ知られていないだろう。……正面から一気に叩く。俺を信じろ。向こうの出鼻を挫ければ、こちらの勝機はある」
 シャナイの言葉に従わない者は誰一人としていなかった。それは彼が常勝無敗の王子だからであり、その白きサーコートが英雄たちの伝説を呼び寄せると確信していたからに他ならない。
 そして、シャナイの言葉通りになった。川沿いに下降してきた雷導騎士団はシャナイたちに不意をつかれた。
「出撃!」
 号令をかけつつ、先陣を切っていったのはシャナイ自身である。その大鎌は弧を描き、まるで吸い寄せられるかのように確実に敵の騎士の首を落としていく。疾走する彼に返り血がつく。
――― そう……! これぞ命を食らう瞬間! 快楽! 逸楽! そして、この命がお前の糧となる……!
 浴びせかかる紅が、眩暈を起こす。快楽に溺れそうになる自分の衝動だ。
(違う! ……この血がアクメイアの礎となる! 俺には、ゲシュテットの兵士たちを犠牲にしても守りたいものがある……!)
 気を取り直し、向かい来る騎士と対峙する。勢いに乗っている雷導騎士団の者たちに躊躇する暇はない。目の前の敵には突っ込んでくる。シャナイの鎌はまるで重さがないかのように動く。軌道の読めない動きをし、確実にその刃が首に掛かる。
「――― 残念だが……」
 シャナイは騎士の首をスパンとはねた。その首は、指揮官と思われる男の元まで飛んだ。彼らの空間だけがやけに静かだった。シャナイは馬を走らせる。傷害となる者はすべて鎌の餌食となった。そして、彼は指揮官の前に辿り着いた。彼を囲むように、騎士たちが切っ先を向ける。しかし、シャナイは動じない。威厳を持って指揮官の前へ進み出る。……ファルトの真似である。
「貴公がゲシュテット騎士団の指揮官であるか?」
 シャナイの言葉に、騎士たちが一歩前に出る。指揮官はそれを制する。
「いかにも。雷導騎士団団長フロインである。貴殿はアクメイア王国王太子シャナイ殿だな」
 フロインの低い声が風に乗って耳に届く。シャナイは不敵な笑みを見せた。
「名乗る必要もなかったな。ではフロイン殿、俺はこれ以上、消耗戦をするつもりはない。――― 貴公に一騎打ちを申し入れる」
 騎士団長の表情が一転した。訝しく思ったのか、目を細めて彼を見つめる。シャナイはその視線を受け止めたまま動かない。すべての騎士が彼らに注目する。静かな戦場に、長い沈黙が訪れる。
「……覚悟はあるようですな。よろしい。この一戦、貴殿との勝負に賭ける!」
 フロインは声高らかに宣言した。騎士たちがどよめく。……泣いても笑っても、これがこの戦争の勝敗を決める。
 雷導騎士団の騎士たちはフロインの勝利を信じている。余裕の笑みを浮かべている。
 対するアクメイアの騎士たちは不安を隠せなかった。シャナイの秘策とは一騎打ちだったのだ。
 雷導騎士団団長フロインは歴戦の騎士。前線で勇猛果敢に剣を振るう猛将として名高い。対するシャナイは常勝無敗とはいえ、まだ齢二十そこそこの若造だ。場数が違いすぎる。
 二人は馬を進める。中央で向かい合うと、剣と鎌を交差させる。
「――― ゆくぞ!」
 フロインの掛け声で二人は武器を引いた。先手を打ったのはフロインだ。馬を一気に寄せると剣を振り下ろす。しかし、シャナイはいとも容易くそれを受け流す。鎌を旋回させ、横から首を狙う。動作は一瞬。
 しかし咄嗟に身を屈め、それをやり過ごす。勢いのついた鎌は空を切る。その隙を狙って、フロインの一撃が来る。――― が、シャナイの顔には笑みが浮かんでいた。
 空を切った鎌はぴたりと止まり、刃が返されていた。フロインの剣戟よりも早く、彼の脇腹に衝撃を与える。
「!?」
 高速にして、鈍重。フロインは落馬した。しかし、勝負は終わらない。フロインは立ち上がり、剣を構える。――― ここからが勝負だ。
「……さすがは猛将フロイン殿。これで終わりでは呆気なさすぎる」
 シャナイは馬を進め、彼と向き合う。土煙が上がる。
 今度はシャナイが仕掛けた。肩口への一閃。ガキンという重い音が響く。大鎌は剣と衝突していた。力押しではシャナイが不利である。シャナイはすぐに引く。その瞬間に懐に入り込んだフロインが鋭い突きを繰り出す。しかし、そこにシャナイの姿はない。彼は馬の脇腹にしがみつくように移動していた。
「騎馬戦は生憎、得意なんでね!」
 馬を走らせると、鞍にまたがる。そして、勢いをつけてフロインに向かう。フロインは青眼の位置に構える。すれ違いざま、互いに一撃を繰り出す。フロインの腕から血が流れる。しかし、シャナイの馬の手綱が切られていた。シャナイはそのまま後方に降り立つ。
「……成程。引きずり下ろすか」
 シャナイはフロインと再び向き合う。刃に近い部分を握り、リーチを縮める。フロインは冷や汗を浮かべていた。鎧を着込んでいるフロインに比べ、シャナイは軽装だ。早さでは向こうが勝っている。獲物の重さは、彼には関係ないように思えた。
 そして何よりも、底が見えなかった。
「……全力で貴公を倒す……!」
 シャナイは自分に言い聞かせるかのように呟く。そして、一気に間合いを詰めた。リーチが短くなったので、攻撃の間合いは同等だ。すなわち、こちらの射程は相手の射程でもある。フロインも一撃を繰り出す。しかし、シャナイは咄嗟にブレーキをかけ、刃ではなく柄の方をフロインの腹に向けて突き出した。
「!!」
 予測できなかった。シャナイの一撃は完全に急所をとらえていた。フロインは衝撃に襲われ、前のめりになる。シャナイは容赦しなかった。この一瞬に彼に近づき、その首に刃をかけた。血飛沫が飛び、指揮官は倒れる。……勝負は決まった。
 が、雷導騎士団の一部は一斉に彼に襲いかかる。シャナイはそれすらも予測していた。
「……死よ、アクメイアの英雄たちの力を我に……!」
 シャナイは向かってくる者たちとの間合いを確認し、鎌を大きく振るった。風が刃を成し、彼らに襲いかかる。人の成せる技ではない。――― 雷導騎士団は戦意を失い、シャナイに降伏した。……戦は終わったのだ。
 王子の白いサーコートに、血の跡は一つもなかった。




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